今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(28)関ケ原から鳥居本 その2

 

2018年11月11日

 

今須峠

 

 やがて今須峠に差し掛かります。説明板が立っています。かつて、このあたりには茶屋が数軒ありました。冬場は積雪も多く、難所だったそうですが、今は簡単に越えられます。

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中山道(28)関ケ原から鳥居本 その1

 

2018年11月11日

 

関ケ原宿

 

 朝、新幹線に乗って、名古屋回りで8:50に関ケ原駅に到着しました。1年ぶりにこの駅に立ちます。今回は2泊して、野洲まで進めようと思っています。野洲まで行けば、ゴールも見えてきます。

 天気は快晴。少し風があって、15℃くらいだと思いますが、とても気持ちのいい朝です。9:00に歩き始めます。

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中山道(27)美江寺から関ケ原 その4

 

2017年11月24日

 

垂井宿

 

 相川橋を渡ると左手土手道の手前に相川の人足渡跡の説明板が立っています。江戸時代は人足渡しが主でした。渡川時の水量によって渡賃が決められていました。一方、朝鮮通信使や姫宮などの特別な通行があるときには、木橋がかけられました。

 さらに、土手道を横断すると東の見附跡の説明板が立っています。ここは垂井宿の江戸側の入口でした。その隣には垂井宿の案内図と宿の標柱が立っています。

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中山道(27)美江寺から関ケ原 その3

 

2017年11月24日

 

赤坂宿

 

 しばらく歩き、赤い欄干の橋を渡ります。ここがかつての杭瀬川の主流でした。橋の手前左手には御使者場跡の石碑が立っています。大名や公家の通行の際、宿役人や名主がここで送迎をしていました。この辺りに東の木戸があり、江戸側の入口でした。同じものが宿場の西側にもあります。

 橋の先右手は赤坂港跡が公園となっています。

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中山道(27)美江寺から関ケ原 その2

 

2017年11月24日

 

呂久の渡し

 

 小簾紅園(おずこうえん)に入ると呂久の渡しの説明板が立っています。かつての揖斐川(呂久川)はこの地のすぐ西側を流れていました。川幅は平水で90m、大水のときは180mもあり、中山道を行く旅人はここを船で渡りました。揖斐川の川筋が現在の流れに付け替えられたのは大正時代のことです。

 和宮が船で渡られた際、対岸の色鮮やかに紅葉した楓を見て、

 「落ちて行く 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそすれ」

 と詠みました。昭和45年(1970年)にこれに因んで小簾紅園が整備されました。

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