今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

今へ続く日光街道を歩くと

 

今へ続く日光街道

 

 日光街道を辿る旅の多くは国道歩きでした。明治以降、日光街道国道4号や119号に置き換わり、街道筋は国道とともに発展していきました。近年の都市化の波に、かつての宿場の町並みが国道を中心に大きくなっていった町、国道とともにゆっくりと歩んできた町、国道が迂回してしまった町など、宿場町の変遷の事情はそれぞれです。

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日光街道(8)大沢から神橋 その3

 

2014年4月26日

 

七里

 

 並木太郎を過ぎると、左手に僅かな幅ですが歩ける歩道が現れます。

 その先、杉並木を抜けると、左手には明治天皇七里御小休所跡があります。明治天皇が休憩した建物が残っているそうです。

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日光街道(8)大沢から神橋 その2

 

2014年4月26日

 

森友

 

 森友地区を歩き、その先で森友交差点に出ます。左手の道は国道121号で、現代の道として日光西街道壬生通り)の板橋宿へ繋がっています。

 交差点の先で、国道119号の右側に並行して走る杉並木の入口が見えてくるので、再び、杉並木を歩きます。

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日光街道(8)大沢から神橋 その1

 

2014年4月26日

 

大沢宿

 

 7:50頃に宇都宮駅に到着しました。天気は晴れ。日光街道は8日目、いよいよ最終日です。一気にゴールまで歩く予定です。今日は一週間前に比べ若干暖かいですが、一応、先週と同じ格好で来ました。宇都宮駅構内のロッテリアで朝食を取り、本日のスタート地点へ向かうため、8:30発の今市行のバスに乗り込みます。

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甲州街道(6)藤野から鳥沢 その5

 

2020年11月28日

 

恋塚の一里塚

 

 県道30号が右へカーブする正面に、恋塚の一里塚の南塚が残っています。北塚はなくなっています。平成18年(2006年)の大雨で塚の西側が崩れてしまったそうです。しかし、裏へ回ると、きれいに復旧されていました。日本橋から数えて20里目の一里塚です。

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甲州街道(6)藤野から鳥沢 その4

 

2020年11月28日

 

矢坪

 

 中央自動車道を越えて直進すると、甲州街道は右手の坂道を上ります。

 入口には矢坪坂の古戦場の説明板が立っています。この地から新田までの山あいを抜ける坂道は矢坪坂と呼ばれていました。享禄3年(1530年)、甲斐国の郡内領主であった小山田氏が相模国の北条氏の侵攻を受けて戦を繰り広げた場所です。

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甲州街道(6)藤野から鳥沢 その3

 

2020年11月28日

 

大椚の一里塚

 

 坂道をひとしきり上ると、左手には大椚(おおくぬぎ)の一里塚の石碑と説明板が立っています。一里塚はこの場所にあったのではなく、手前、上り坂が右にカーブするあたりにあったそうです。日本橋から数えて18里目の一里塚です。

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