今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光例幣使街道(1)倉賀野から境町 その1

 

2015年12月29日

 

倉賀野宿

 

 今日から、例幣使街道を倉賀野宿から楡木宿まで歩くことにします。倉賀野を訪れたのは中山道を歩いた2013年2月以来になります。

 8:10に倉賀野駅に到着し、南口に降り立ちました。8:15に今回は逆に東へ向けて出発します。ちょっと寒いです。

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館林道 北鴻巣から行田市 その2

 

20115年12月26日

 

下忍の一里塚

 

 右手工場の白い建物の手前にある駐車場に、下忍の一里塚が残っています。東の塚で、榎は当時のものだそうです。かなりの巨木です。説明板もあるようですが、工場の敷地内なので、道路から写真を1枚撮らせてもらいました。日本橋からいったい何里目なのでしょうか。追分からここまでの距離を考えると、中山道ではその先の久下の一里塚(15里目)あたりと同じ距離なのでしょうか。

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館林道 北鴻巣から行田市 その1

 

2015年12月26日

 

 

 箕田の追分

 

 中山道箕田の追分から例幣使街道天明宿までを館林道と呼んでいます。忍宿から天明宿ではすでに歩いているので今回は、箕田の追分から忍宿まで歩くことにします。

 8:25、電車で北鴻巣駅に到着し、西口に降り立ちます。天気は快晴、8:30から歩き始めます。

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今へ続く日光千人同心街道を歩くと

 

今へ続く日光千人同心街道を歩くと

 

 このブログの目的の一つは、今へ続く街道の様子を備忘録として残すことにありますが、脇往還になると名所・旧跡は少なく、どうしても「こっちの道に入って」とか「この坂道を上って」などの表現ばかりになってしまいます。ひょっとしたら、自分の家の前の道が、昔の街道筋だとは知らない人も多いのではないかと思ったりします。

 この街道は、日光脇往還とも呼ばれ、江戸時代を通して、千人同心で構成された日光火の番が往復していた街道ですが、多摩地区と北関東の物資を繋ぐ道であり、大山や富士山詣での道でもあったようです。一里塚があったのかはよく分かりませんでしたが、旅する人々にとっては道標が重要な目印だったに違いありません。

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日光千人同心街道(6)茂林寺前から佐野 その3

 

2015年12月5日

 

田島

 

 日光千人同心街道は県道7号を横断します。かなり交通量の多い道ですが、左手の信号機のある交差点に横断歩道があるのでちゃんと渡れます。県道を横断して、並走する東武線の踏切を越えるとすぐに、道は突き当たるので左折します。用水路の脇を進むと国道50号の下をくぐります。

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日光千人同心街道(6)茂林寺前から佐野 その2

 

2015年12月5日

 

林城 

 

 館林女子高前のT字路を右折すると、右手は市役所、左手には広場が広がります。この広場は二の丸跡で、その向こうに見える石垣から向井千秋記念子ども科学館のあたりが本丸跡と言われています。

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