2019年12月29日
上高井戸旧道入口
環八の下をくぐるとすぐに二股に分かれます。右の道が国道20号で甲州街道は左の旧道に入ります。
その先は国道の喧噪さがなくなります。
千歳烏山駅入口付近では結構な人通りでしたが、それを過ぎると静かな通りになります。
旧道に入って25分、右手の民家の門の脇に里程標の碑と説明板が立っています。明治3年に内藤新宿を起点とした新たな一里塚が造られ、3里目であることを示しています。
その先は仙川に向かって段丘崖を下っていきます。
仙川を渡る大川橋は工事中でした。その先は上り坂となり、すぐのところで国道20号と合流します。仙川三差路交差点です。
仙川三差路交差点で国道の右側へ渡ります。しばらく歩くと、仙川駅入口交差点の右角にあるセブンイレブンの前に仙川の一里塚跡の碑が立っています。日本橋から数えて5里目の一里塚です。
一里塚跡から5分ほど歩きます。仙川二丁目交差点の先で道は下り坂になっています。郊外に来た感じです。
仙川二丁目交差点を過ぎたところで、甲州街道は右の道に入ります。
右に入った右手の民家の前に瀧坂旧道標石があります。馬宿川口屋とも記されています。馬宿とは宿駅で馬を交換するために馬を置いていた施設のことです。
ここから下り坂になります。瀧坂と呼ばれています。雨が降ると坂を滝のように水が流れたところから名前が付けられたと言われています。しばし静かな旧道歩きです。
坂の下で国道20号と合流します。
布田五ヶ宿
国道を10分ほど歩くと、野川に架かる馬橋に着きます。
この辺りが布田五ヶ宿の最初の宿場である国領宿の入口でした。布田五ヶ宿は、東から国領、下布田、上布田、下石原、上石原から成り、高井戸宿のように合宿として役割を果たしていました。月の内、6日ずつ宿場の業務を務めました。
野川を渡ります。意外と水が澄んでいます。野川は国分寺を水源として世田谷で多摩川に流れ込んでいます。古代の多摩川が武蔵野台地を削った国分寺断崖線が野川に沿って北側に連なっています。先ほど下った瀧坂もその段丘崖の名残のようです。このような段丘崖では湧き水が豊富なはずです。
すぐに道は二手に分かれます。旧甲州街道入口交差点です。右が国道20号で甲州街道は左の道に入ります。
国領町に入ります。布田五ヶ宿は狭い範囲にあるようです。この辺りは国領宿でしょうか。
旧甲州街道の標識がありました。
国道20号から分かれて15分、右手には常性寺があります。常性寺の境内にある不動堂には成田山新勝寺から勧請した不動尊が祀られています。この地では「お不動さん」として親しまれています。このあたりの商店街の名前は不動商店会となっています。
常性寺がある角は布田駅入口交差点です。左に入ると布田駅に通じています。この先は布田地区に入ります。下布田宿となるのでしょうか。
そして調布駅北口交差点に到着しました。本日のウォーキングはここまでとして左折して調布駅に向かいます。
調布駅に着いたのは12:25です。3時間15分の行程でした。