今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(1)日本橋から志村坂上

 

2012年12月8日

 

日本橋

 

 記念すべき街道歩きの第一日目です。

 天気は快晴。さすがに12月の風は冷たいです。

 日本橋に立ったのは11:50。師走の土曜日ということで、買い物客が多いです。

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 初心者なので今日はどこまで歩けるのか見当がつきません。とりあえず、歩けるところまで行ってみます。

 ということで、日本橋をスタートします。 

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 10分ほど歩くと神田駅のガードが見えてきます。

 今年は9月の残暑の影響でイチョウの紅葉が1週間くらい遅れているようで、ちょうど今が見頃になっています。 

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 中山道は須田町交差点の手前で、中央通りから左へ入ります。 

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 靖国通りを横断して、寄り道のために二つ目の路地を左へ入ります。

 この一帯には、大正末期から昭和初期の建物が残っていて、東京都の歴史的建造物に指定されています。

 あんこうのいせ源、甘味処のたけ村、神田やぶそばの前を通って中山道に戻ります。

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 すぐに、旧万世橋駅高架の赤レンガの壁にぶつかります。道なりに左へ進みます。

 ここには、かつて筋違見附があり見附橋が架かっていたと説明板には記されています。

 また、JRによって旧万世橋駅の遺構を整備するとともに再開発を行う予定になっていると聞きました。 

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 右折して中央線のガードをくぐり、昌平橋を渡ります。

 昌平橋北側の一帯は、神田旅籠町呼ばれていました。 中山道日光御成街道筋にあり旅籠が多く立ち並んでいました。

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 国道17号に沿って坂を上っていくと、湯島聖堂の脇から昌平坂を見下ろせます。

 その先には、ニコライ堂のドームも見えます。坂道は街道歩きにアクセントを加えてくれるので見る目を楽しませてくれます。

 徳川家康は神田山を切り崩し、江戸城南側の入江を埋め立てました。この近辺は神田山に連なる高台だったのでしょうか。 

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 湯島聖堂の脇を歩いていると急に風が強くなり、木から舞い落ちる葉と歩道から舞い上がる葉でイチョウ吹雪に見舞われました。 

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 道の反対には神田明神の鳥居が見えます。 

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 湯島聖堂から10分ほど歩くと、本郷三丁目交差点に着きます。ここまで国道とはいえ人通りはまばらでしたが、地下鉄の駅付近で急に人が多くなりました。学生の街なのですね。

 交差点の角には、あの「本郷もかねやすまでは江戸の内」で有名なかねやすがあります。江戸の昔、大岡越前守が江戸市中の防火のためにかねやすより南側の家屋には土蔵造りと瓦屋根を奨励しました。でも、その費用はきっと個人負担だったはずです。おそらく多くの人々はお金が出せなかったのではと思うと、防火の効果があったのかとふと思ってしまいます。 

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 その先は東京大学です。東京大学イチョウの名所です。場所によっては、見事な黄色い絨毯が広がっていました。

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 東京大学農学部前のT字路は日光御成街道との追分になっています。

 左へ曲がるのが中山道です。

 角には高橋屋という酒屋があり、江戸時代からこの地で商いをしているそうです。

 お店の前には、一里塚の説明板があります。追分の一里塚と呼ばれ、中山道最初の一里塚です。

 ここまで、歩いてちょうど1時間。なかなかいいペースです。まだまだ行けそうです。 

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 静かな国道歩きに変わります。ここまで来ると汗をかき始めました。 

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 やがて白山通りと合流します。その先、山手線を越えると右手が巣鴨駅です。 

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 巣鴨駅を過ぎると、中山道巣鴨地蔵通り商店街に入っていきます。

 1週間後に東京都知事選があり、某候補者の街頭演説を聞く人でごった返していました。 

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 巣鴨から板橋にかけてタネ屋街道と呼ばれていました。中山道の旅人がこのあたりの珍しい野菜のタネを買い求めるようになり、タネ売りを副業とする農家が増えたそうです。滝野川ごぼう滝野川にんじんなどが有名でした。

 都電荒川線を越えた先の右手には東京種苗株式會社があります。その流れを汲むものなのでしょう。 

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 埼京線の踏切が見える手前、滝野川銀座のあたりに平尾の一里塚があったようですが、場所は特定されていません。日本橋から数えて2里目の一里塚です。 

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 埼京線の踏切を越えて10分ほどで、上を首都高速が通る国道17号と合流します。中山道は交差点を横断して直進します。

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板橋宿

 

 国道17号を横断すると、中山道最初の宿場である板橋宿に入ります。このあたりは平尾宿と呼ばれていました。 

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 しばらく歩いた先、銭湯の手前の路地を入ったマンションの生垣に脇本陣跡の石碑と説明板が立っています。平尾の名主の豊田家が代々務めていました。 

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 旧中山道仲宿交差点から仲宿に入ります。すぐの右手のスーパ手前の塀の脇に本陣跡の碑と説明板が立っています。飯田家が務めていました。

 本陣跡の先には、宿名の由来となった板橋があります。下を流れるのは石神井川です。

 今は橋もコンクリート石神井川もコンクリートで囲まれていて、当時の面影は全くありません。

 川沿いには桜が植えられています。桜の季節には違った景色を見せてくれるでしょう。 

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 板橋を過ぎると上宿に入ります。平尾宿、仲宿と賑やかな商店街を歩いてきましたが、上宿は人通りが少なくなりました。 

 やがて、中山道国道17号と合流します。ここからは国道歩きが始まります。 

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 国道歩きを初めて10分強で志村の一里塚に着きます。日本橋から数えて3里目の一里塚です。西塚、東塚とも現存しています。都内で両塚を見ることができるのはすごいことですね。

 西塚です。 

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 そして、東塚です。

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 現在の時刻は15:05です。陽も傾きかけてきたので、今日の歩きはここで終了とします。12km、3時間15分の行程でした。結構歩けるものです。

 一里塚脇の志村坂上駅から帰路につきました。

 

 

 

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