2012年12月23日
蕨宿上木戸
蕨宿の京側の入口は国道17号との交差点、錦町三丁目交差点あたりにありました。交差点を横断して直進します。
静かな道となります。
やがて、外環道の高架が見えてきます。
蕨宿を出て歩くこと15分で外環道の下を走る国道298号に出ます。辻二丁目交差点です。
交差点の右手角には辻の一里塚碑が立っています。日本橋から数えて5里目の一里塚です。
国道298号を横切り、さらに住宅街を直進すると、信号のあるT字路に突き当たります。
T字路を右折すると、再び国道17号に出ます。六辻交差点です。
国道を横断すると道は三方に分かれます。中山道は左斜めの医院の左側の道となります。
やがて中山道は緩やかな上りの坂道となります。焼米坂です。
このあたりには中山道を旅する人に焼いた米をふるまう茶屋があったところから坂の名前がつきました。
南浦和小学校脇の歩道橋の下に焼米坂の石碑が立っています。
標高差はあまりないようですが、大宮台地の南端の縁にあたるところです。
坂を上がると車の通りも多くなり、浦和の街中に入ってきたという感じです。
浦和宿
右手には調(つき)神社の森が見えてきます。
「調(つき)」から「月」が連想され、うさぎが神の使いとなったそうです。このため、狛犬ならぬ狛うさぎが入口にいます。
ここにもうさぎが。
調神社あたりから浦和宿が始まります。
ビルの合間に浦和宿を表す石碑が立っています。
浦和駅西口交差点を過ぎた左手、門前通りの奥に玉蔵院があります。
弘法大師が創建したと言われているお寺で、なかなか立派な建物です。樹齢100年の枝垂れ桜があるそうです。
仲町交差点の先、左手マンションの脇を入ると小さな公園があります。
ここは浦和本陣があったところで、本陣の説明板と明治天皇行在所の石碑が立っています。
中山道に戻り、しばらく歩くとJRの跨線橋を越えます。浦和橋と呼ばれています。
橋の手前に浦和の一里塚があったそうですが、場所は特定されていません。日本橋から数えて6里目の一里塚です。
浦和橋を越えると北浦和駅の近くを通ります。
急に人通りが増えました。レッズの赤いのぼりも目に付くようになりました。
北浦和駅入口から歩くこと25分で、さいたま新都心の高層ビル群が近くに見えてきます。
やっと、天気予報の通り晴れ間が見えてきました。
ケヤキ並木の新しい道です。でも、ケヤキの枝はきれいに刈り取られていました。
大宮宿
さいたま新都心駅から10分ほど歩くと、右手に氷川神社の参道が伸びています。
参道入口には大きな鳥居と武蔵國一宮の石碑が立っています。
中山道が整備された時はこの参道が中山道でしたが、神域を通らないように寛永年間に現在の直進の道に付け替えられました。
吉敷交差点の先左手には立派な屋敷門があります。加賀前田家屋敷門を移築したものだそうです。
大宮駅西口入口交差点の角には高島屋があります。かつてこの場所は紀州鷹場本陣がありました。
今と変わらず大宮宿の中心地だったのですね。
大宮駅前通りを通り過ごし、一本先の左手すずらん通りの入口を入ります。
商店街の中に内倉本陣の説明板が立っています。
すずらん通りを通り抜けると大宮駅東口に出ます。
本日の街道歩きはこれで終わりにします。時刻は13:05。4時間15分の行程でした。