今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(4)鴻巣から熊谷 その1

 

2013年1月2日

 

鴻巣宿

 

 年明け正月の2日です。2013年最初の街道歩きにやって来ました。我ながら結構早いペースでここまで歩いてきたなあと感心しています。

 今回は車で熊谷まで行き、電車で鴻巣駅へ向かいました。天気は快晴、穏やかな朝です。

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 駅前通りを進み、本日のスタート地点である鴻巣駅入口交差点から中山道を歩き始めます。時刻は9:10 です。下の写真は交差点の少し北本よりから中山道を撮りました。

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 歩道を歩いていくと足元のブロックにコウノトリのイラストが描かれています。鴻巣と言えばコウノトリですね。

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 しばらく進むと、右手には鴻(こう)神社があります。まだ早い時間なのか初詣をする人はあまり多くはありません。

 鴻神社にはコウノトリ伝説が残っています。

 むかし、むかし、この地に「木の神」と呼ばれる大きな木があり、里の人は「神様の木」として大切にしてきました。しかし、その木はお供えをしないと、災いをもたらすことがあり、人々は困っていました。ある時、コウノトリがこの木に巣を作り、卵を産みました。すると、大きな蛇が現れ卵を食べようとしたため、コウノトリは蛇と戦い、最後には蛇を追い払いました。その後、この地には災いもなく平和な日々がやってきました。人々はこの木の下にお宮を造り「鴻の宮」と名付け、この地の守り神としました。そしていつしか、この地は「鴻巣」と呼ばれるようになりました。

 ちょっと長くなりましたが、こんなお話です。

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 鳥居の先は鴻神社前交差点です。

 ここを右へ入ると日光への裏街道でした。忍宿、館林宿に繋がっているようです。

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 1月20日に埼玉駅伝が行われます。駅伝はさいたま新都心から熊谷まで旧中山道を走るコースになっています。中山道沿いにはそのための交通規制の看板がいくつも立っています。

 道はその先で二手に分かれます。加美交差点です。中山道は左の道に入ります。

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 分岐の手前の左手には道標が立っています。

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 高崎線の踏切を渡ると道は再び二手に分かれます。左手の道は松山道となります。

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 加美交差点から20分ほど歩くと右手には箕田(みた)観音堂があります。

 羅生門の鬼退治で有名な源頼光の四天王の筆頭であった渡辺綱が永延元年(987年)に開いたと言われ、本尊は馬頭観世音だそうです。 

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 さらに10分ほど歩くと、右手には氷川八幡神社があります。

 傍らには、箕田の歴史を表した説明板が立っています。

 嵯峨天皇の流れを汲む源仕(みなもとのつこう)がこの地、足立郡箕田郷に土着して箕田源氏の祖となりました。

 氷川八幡神社は箕田源氏ゆかりの神社となっています。

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 その先、中宿橋で武蔵水路を渡ります。武蔵水路利根川で取水して荒川に注ぐ水路です。結構水量が多いです。

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 中宿橋からすぐのところで、道は二手に分かれます。

 箕田の追分で右の道は館林道です。

 分岐の角には中山道碑と箕田の歴史についての説明板が立っています。

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 中山道は前砂地区に入ります。 

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 特養老人施設の先のT字路の角に前砂村の石碑が立っています。

 池田英泉の「鴻巣・吹上富士」はこのあたりで描かれた」と記されています。今も見えるのでしょうか。 

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 前砂村の碑のすぐ先の左手には一里塚の碑と説明板が立っています。碑の文字はかろうじて読めますが、説明板のほうは残念ながら読み取れませんでした。

 前砂の一里塚で、日本橋から数えて14里目の一里塚です。

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 前砂交差点で中山道は右の道に入ります。

 分岐の右手には道標が立っています。

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 前砂交差点から少し先の踏切のある交差点を右折して、高崎線を渡ります。

 正面に見えるNTTの鉄塔が目印です。

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 線路を渡り終えたら、すぐを左折します。 

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 その先、県道と合流するので、県道を歩きます。

 ところどころ旧家も見られます。

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 吹上駅前交差点を過ぎた先で右手の路地を入ると駐車場の奥に明治天皇御駐輦址の石碑があります。

 茶屋本陣(お休み本陣)があった場所です。

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 中山道に戻り、先を進みます。

 吹上本町交差点で中山道は左へ入ります。角には道標が立っています。

 ここは八王子千人同心街道と交わる場所となっていますが、八王子千人同心街道は一本先の交差点でこの県道を横断するので、中山道もそこを左折するのが正しい経路なのでしょうか。

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 左折すると右手奥に東曜寺がちらっと見えます。 

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 東曜寺の隣は吹上神社です。初詣の人が集まってきました。 

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 吹上神社を過ぎると道の向こうに高崎線を越える榛名通りが見えてきます。

 この跨線橋あたりで、中山道高崎線に遮られてしまいます。

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 このため、跨線橋の歩道を通って高崎線を越えます。

 跨線橋へ上がる階段の袂に間の宿の石碑と説明板が立っています。

 ここ吹上は間の宿でしたが、八王子千人同心街道と交差することや、鴻巣と熊谷の距離が長かったことから、休憩するお休み本陣や馬次の立場が必要でした。

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 中山道(4)鴻巣から熊谷 その2へ続きます。

 

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