今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(6)岡部から新町 その2

 

2013年2月11日

 

本庄宿

 

 本庄歴史民俗資料館は旧本庄警察署の建物で、明治16年(1883年)に建てられました。埼玉県の有形文化財に指定されています。

 残念ながら本日は休館日でした。 

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 中央三丁目交差点に戻り、再び中山道を歩き始めます。

 すぐの左手にある大きな煉瓦造りの建物が目を引きます。旧本庄銀行の建物です。

 現在はローヤル洋菓子店が譲り受けて本社工場兼売店として使われているとプレートには記載されていますが、店は閉められています。

 国の登録有形文化財に指定されています。

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 本庄宿を歩くと多くの蔵を見かけます。

 右手には、焼板張りの蔵を見ることができます。最近まで、酒問屋の小森商店の蔵だったそうです。蔵などの古い建物を維持保全するのは結構大変そうです。

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 その先の、こんもりとした森は金鑚(かなさな)神社です。創立は欽明天皇2年(541年)と言われています。本殿は享保9年(1724年)、拝殿は安永7年(1778年)に再建されたものです。

 鳥居をくぐり、拝殿に向かいます。権現造りの極彩色の立派な建物です。 

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 鳥居脇には御神木のクスノキが大きな枝を広げています。樹齢は300年以上だそうです。

 遠くからこんもりとした森が見えたのはこのクスノキだったのですね。

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 中山道は千代田三丁目交差点を右折します。車の往来が激しい国道462号の歩道を歩きます。足元には宿場町を描いた浮世絵のタイルが並んでいます。

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 歩道橋のある交差点から左へ入るため、歩道橋を渡り国道を横断します。

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 国道462号から左に入ると、その喧噪さがどこへいってしまったのかと思うほど、静かな町並みになります。

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 すぐに、千代田三丁目交差点から直進の道と合流します。

さらに20分弱、住宅街をひたすら歩くと上里町に入ります。

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 その先家並みが途切れ、視界が広がった左手に赤い鳥居のある古墳が見えてきます。

 浅間山古墳と呼ばれています。直径38m、高さ6mの円墳で7世紀後半のものと言われています。

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 再び住宅街を歩くと神保原一丁目交差点に着きます。中山道はここを右折します。

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 すぐに変形五叉路の交差点で国道17号に出ます。中山道は国道を横断して、左斜め前方の道に入ります。

 しばらく住宅街を歩きます。 

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 国道17号を横断して20分弱で左手に陽雲寺が見えてきます。なかなか立派なお寺です。

 元久2年(1205年)の創建と言われ、当時は万願寺と呼ばれていました。徳川家康が関東入府の際に、武田信玄の甥である川窪信俊をこの地に配置しました。信俊は武田信玄夫人の陽雲院を境内に住まわせ、没後には供養のためお寺の名前を陽雲寺と改称しました。 

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 中山道はやがて国道17号と合流しますが、そのすぐ手前のお堂の脇に一里塚碑があります。勝場の一里塚です。日本橋から数えて23里目の一里塚です。そして、埼玉県最後の一里塚です。 

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 勅使河原北交差点から国道17号を歩きます。 

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 やがて神流川橋で神流川を渡ります。親柱には常夜燈のモニュメントが飾ってあります。

 かつて、神流川の両岸にあった見透灯籠を模したものでしょう。

 本庄側にあった見透燈籠は近くの大光寺に、新町側は高崎市内の諏訪神社に移設されています。

 橋の右側にしか歩道はありません。車の交通量は結構あります。 

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 それにしても長い橋です。先が良く見えません。

 やっと青空が見えるようになりましたが、橋の上なのでとても強い風が通ります。カメラが吹き飛ばされそうになりました。

 神流川下流方面は上州や日光の山々が見渡せます。

 英泉の木曽海道六拾九次の本庄宿は神流川の渡しが描かれています。中央の中州までは板橋で、新町側は渡船で渡っていたようです。 

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 神流川を渡ると群馬県に入ります。ここから上州路が始まります。

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 橋の袂には、神流川古戦場跡の碑が立っています。

 本能寺の変織田信長が打たれた後、西へ向かう関東管領滝川一益と北条氏の間で繰り広げられた合戦場です。

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 その先、新町検問所の前で右に入る道が中山道です。旧中山道の標識もあります。 

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新町宿

 

 分岐の角には常夜燈が立っています。見透燈籠を復元したものです。

 新町宿に入ります。

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 右に入って最初の交差点の角に八坂神社があります。

 境内の一角には柳茶屋の芭蕉句碑が立っています。この地にあった柳の大木の傍らに茶屋があり、柳茶屋と呼ばれていました。

 天保10年(1839年)頃、新町の俳人たちが柳にまつわる句を選び、碑を作りました 。

 「傘におしわけみたる柳かな」

 なぜか後ろにはカメレオンがいます。 

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 新町郵便局前の交差点は、古くからの中山道と日光道(右手)、藤岡道(左手)の交差点でした。

 下の写真は交差点を過ぎて振り返ったもので、正面が本庄宿方面、左は日光道、右は藤岡道となります。 

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 その先、右手のお宅の庭先に新町宿の高札場跡の碑が立っています。

 新町宿は笛木新町(東側)と落合新町(西側)が合併してできました。ここはその境界にあたるところで高札場が設置されていました。 

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 さらに、右手には明治天皇行在所跡があります。明治11年1878年)、巡幸の際に新築されたものです。

 ちょうど、新町ひな祭りの催しものの会場となっていて、ひな人形が飾ってありました。 

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 新町駅入口交差点に到着します。本日の街道歩きはここで終了して、左折して新町駅へ向かいます。 

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 交差点角には群馬銀行の洋館が建っています。

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 すぐに新町駅に到着しました。時刻は13:00ちょうど。4時間10分の行程でした。 

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 中山道(6)岡部から新町 その1へ戻ります。

 

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