気楽に街道歩き

気楽にゆっくり街道を歩いています。

中山道(10)坂本から軽井沢 その1

 

2013年5月5日

 

坂本宿上木戸

 

 今日も車で西松井田駅まで来ました。ゴールデンウイーク後半の子供の日ですが、特に渋滞もなくスムーズに来れました。電車に乗り換えて横川駅に8時過ぎに到着しました。この後は、碓氷峠を越えて軽井沢宿まで歩き、軽井沢駅からバスで横川駅に戻ります。

 天気は晴、暑くもなく寒くもないちょうど良い気候です。

 8:20に本日のスタート地点である坂本宿上木戸跡に向けて歩き始めます。今日は同行者がいます。スタート地点までのルートは前回の帰り道に通ったアプトの道にしました。

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 碓氷関所跡、旧丸山変電所跡、峠の湯を経由して、本日のスタート地点の上木戸跡に立ちました。

 横川駅から1時間20分ほどです。途中、碓氷関所跡でボランティアさんの話をいろいろ聞かせてもらい、多少時間がかかりました。

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 上木戸跡からすぐの右手に芭蕉句碑があります。もとは刎石山の刎石坂にあったものをこの地に移したそうです。寛政年間(1790年頃)のものです。

 「ひとつ脱いて後ろに負いぬ衣かへ」

 汗を掻きながら坂を上った情景が浮かびますが、芭蕉碓氷峠で詠んだ句ではないようです。

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 正面にはこれから登る刎石山がそびえ立っています。先ほどの芭蕉句碑の説明板には「刎石(安山岩)」と記されていました。きっと火山活動でできた山なのでしょう。

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 国道18号が水道タンクの前で大きく右へカーブする場所で中山道は左脇の道に入ります。

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 1週間後に開催される安政遠足マラソンの案内標識がいたるところに立っています。これに沿って歩けば中山道を辿れそうです。

 国道から入ると道は直角に左へカーブしますが、曲がらずそのまま細い草道を直進します。

リタイヤしたマラソン参加者の待避場所もあります。

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 草道を歩いていくと、先ほど分かれた国道下の壁に突き当たり、道なりに左へ曲がります。

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 その先、マラソンの案内板に従って右手の階段を上がっていくと再び国道に出ます。

 国道を横断すると正面に登山道入口があります。いよいよ中山道最初の峠越えです。

 その脇には「中部北陸自然歩道 上州路碓氷峠のみち」の案内板が立っています。それなりに整備された道のようです。

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 まずは階段のある道を登ります。階段は自分の歩幅に合っていないととても歩き辛いものです。

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 5分ほど登ると堂峰番所跡の説明板があります。石垣の上に番所があり、関所破りを取り締まっていました。

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 しだいにごつごつした石が目立つようになります。

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 堂峰番所から20分くらいで柱状節理が見られる岩が現れます。

 柱状節理は火山活動の痕跡なのですが、崩れ落ちた石片があたかも刎ねたように見えるので刎石山と呼んだのではないでしょうか。あくまでも私説ですが。 

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 その先には石仏石塔群があります。先ほどの上木戸跡にあった芭蕉句碑もかつてはここにありました。

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 刎石坂に差し掛かります。さらに大きな石が横たわりとても歩き辛い道です。碓氷峠越えで一番の難所だったそうです。

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 刎石坂を登りきると、坂本宿を一望できる覗(のぞき)に到着します。ずいぶん高いところまで登ってきたものです。とても眺めの良いところです。昔の旅人もここで一息入れたのではないでしょうか。柱状節理から10分ぐらいのところです。

 説明板には一茶の句、「坂本や袂の下の夕ひばり」が紹介されています。

 ここからは尾根伝いに比較的歩き易い道になります。 

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 しばらく歩くと、左手には風穴と呼ばれる岩の裂け目があります。説明板には水蒸気で湿った風が吹き出ると記されていますが、手をかざしてみてもよく分かりません。

 確かに裂け目の周りは苔蒸しているので、水分が吹き出しているとは思いますが。

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 その先、右手には弘法の井戸があります。弘法大師が刎石茶屋で水がないのを見て、ここを掘れば良いと教えた謂れがあります。中を覗くと確かに水が溜まっています。こんな溶岩の山に水が湧くものなのでしょうか。さすが弘法大師です。

 説明板とともに「熊出没注意」の貼り紙が貼ってあります。休日なので多くのハイカーとすれ違いますが、熊除けの鈴を鳴らしている人もいます。

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 道は杉林に入り、刎石茶屋跡に着きます。四軒茶屋とも呼ばれ、茶屋本陣1軒、茶屋3軒が並び、力餅やわらび餅などが名物でした。今でも石垣などが残っています。

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 杉林の中を歩くと刎石坂の関所跡の説明板が立っています。899年というので平安時代に設けられた関所の跡です。ここは刎石山頂上の近くです。

 碓氷峠への道はいろいろな説明板が立っているのでハイカーを飽きさせません。 

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 刎石茶屋から10分ほど歩くと、明るい尾根道に出ます。

 広葉樹の新芽の間から陽の光がいっぱいに差し込んでいます。ここで休憩を取りました。 

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 その先には堀切跡があります。天正18年(1590年)豊臣秀吉小田原城攻めの際、北陸・信州軍からの防戦のために松井田城主が尾根道を削って細くしたところです。道幅を狭めると大軍でも一気に通過できず、守る側からすれば応戦しやすくなります。

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 さらに、南に開けた斜面の上に南向馬頭観世音が立っています。険しい道の安全祈願のために立てられました。

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 すぐのところ、今度は北側に向いた北向馬頭観世音が立っています。

 この峠道に設置されている様々な説明板は、その文章から碓氷峠から坂本宿へ下る旅人向けに書かれているようです。

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 その先には一里塚の説明板があります。刎石の一里塚です。日本橋から数えて35里目の一里塚です。塚らしきものがあるのかよく分かりませんでしたが、写真を一枚。

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 ここからは座頭ころがしの急坂になります。V字に切り開いた道を登っていきます。坂の上には説明板があります。石がごろごろしていて、しかも湿った赤土のためとても滑りやすい坂だったようです。

 下の写真は坂の上から振り返って見たものです。

 ちなみに、多くの 先人のブログで書かれていた謎の廃車はこの 座頭ころがしを登ったところにありました。しかしながら、行きがけに立ち寄った碓氷関所のボランティアの人が言うには、きれいに片付けたとのことでした。 

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 座頭ころがしから10分ほど歩くと明るい平坦な尾根道に出ます。栗が原と呼ばれていて、左から上がってくる明治天皇御巡幸道路(通行止め)との合流地点になります。明治8年群馬県で初めて「見回り方屯所」が設置され、これが交番の始まりと言われています。

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 どの方角を向いているのか分かりませんが、見晴らしの良いところもあります。

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 まごめ坂と呼ばれる緩やかな坂道を上ると平坦な道に出ます。 

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 そして、山中茶屋跡に着きます。かつては13軒の立場茶屋があり、茶屋本陣もありました。明治の頃には小学校もあり、賑わっていた場所のようです。

 今はハイカーしか通らない碓氷峠越えの道ですが、往時は茶屋もあって多くの人が行きかう幹線道路だったんですね。全く想像もつきません。

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中山道(10)坂本から軽井沢 その2へ続きます。