2013年5月5日
山中茶屋
山中茶屋からは比較的幅の広い上りの道になります。山中坂と呼ばれています。かつて坂本から登ってきた旅人は空腹ではこの坂が登れないため山中茶屋でめしを食ってから臨んだと言われ、「飯食い坂」とも呼ばれていました。
その先、一つ家の説明板があります。ここには老婆がいて旅人を苦しめたと記されています。
また、このあたりには一里塚があったと言われています。山中の一里塚です。日本橋から数えて36里目の一里塚です。
5分ほど歩くと陣馬が原と呼ばれる場所で道は二手に分かれます。左の道が中山道です。標識もあります。右の道は和宮道で和宮が降嫁の際に新たに造られた道です。中山道はこの先碓氷峠手前で和宮道と合流します。
陣馬が原は太平記に新田方と足利方の戦いがあった場所と記され、戦国時代には武田方と上杉方の戦いがあった古戦場跡です。
緩い下り坂になります。あたりはカラマツ林となり、芽吹き始めた新緑がとても美しいです。
さらに下っていくと笹沢の流れに出ます。
この沢のほとりに江戸の呉服屋の与兵衛が安中藩から場所を借りて人馬の休憩所を作りました。人馬施行所と呼ばれていました。
石の上を歩いて沢を渡ります。坂本からの山道で初めての水場です。水はとても冷たいです。
沢を渡ると急な上り坂になります。長坂道と呼ばれています。さすがに足が重くなりました。
20分ほど長坂道を登ると山の稜線が見えてきます。もう少しで尾根に出るはずです。
やがて幅の広い道と合流し、右に曲がります。
下の写真は合流点から振り返ったもので、左手の道が今登ってきた長坂道です。
平坦な道を進むとすぐに右から陣馬が原で分かれた和宮道と合流します。
下の写真はこれも合流点から振り返ったもので、右の道が中山道、左の道が和宮道です。
合流点の右手には仁王門跡や思婦石があります。
その先緩やかな坂を登ります。左手、崖の下の方には沢があるのでしょうか、ワサビ田が見えます。
すぐに碓氷峠の頂上に到着します。登山口から3時間20分かかりました。
見晴亭で力餅と蕎麦を食べながら休憩しました。
クルミの力餅です。
碓氷峠は上州と信州の国境にあります。その国境上に熊野神社があります。上州側が熊野神社、信州側が熊野皇大神社となっています。
神流川を渡って上州路に入りましたが、これからは信濃路を歩くことになります。
碓氷峠から軽井沢宿に下る道はネットで調べてもよくわかりません。舗装している県道を通るか遊歩道を通るしかなさそうなので、遊歩道を下ることにしました。
その前に左手の先にある見晴台に寄ることにしました。
見晴台からの眺めは素晴らしいです。東は関東平野から妙義山、西は浅間山を望むことができます。
遊歩道の入口は、県道から見晴台へ上る途中にあります。
見晴台から少し下り、左折して遊歩道へ入ります。軽井沢まで4kmほどです。
明るい林間の道を下っていきます。この辺りは標高1,200mですが、木々の芽吹はこれからのようです。
30分ほど下っていくと沢が見えてきます。その先の吊り橋を渡ります。
吊り橋を渡ると別荘地に入ります。軽井沢らしくなりました。
別荘地の道をさらに下ると碓氷峠からの県道に合流します。
二手橋を渡ります。
そろそろ、軽井沢駅発のバスの時刻を考えないといけません。
二手橋を過ぎると急に散策する観光客が増えてきました。
軽井沢宿
その先につるや旅館があります。つるやは江戸時代から旅籠を営んでいます。建屋もなんとなく旅籠風です。
つるや旅館の前がかつての桝形で軽井沢宿の江戸側の入口になっていました。
碓氷峠から50分ほどかかりました。
旧軽井沢の軽井沢銀座がかつての軽井沢宿です。当然ながら往時の遺構は見られません。
観光会館のあるあたりに脇本陣がありました。
ちょっと場違いな山登りの恰好で首にタオルを巻いて、ゴールデンウイークの旧軽井沢の人混みをかき分け、かき分けして早足で歩いていきます。やがて、軽井沢銀座の西の入口のロータリーに到着しました。
ここが西側の桝形で京側の入口でした。
本日の街道歩きはここまでとして、駅前通りを軽井沢駅に向けて歩きます。
軽井沢の街中ではちょうど桜が満開でした。
そして軽井沢駅に到着です。時刻は15:10。6時間50分の行程でした。
横川の標高が400m、碓氷峠が1,200m、軽井沢が1,000mなので、標高差800mを登って、200mを下ったことになります。
軽井沢駅脇のバス停から15:30発のバスに乗り、国道18号の旧道を通って30分で横川に着きました。電車で一駅乗って西松井田から車で帰路につきました。