2013年5月25日
追分宿
追分宿に入るとすぐの右手、追分宿郷土館へ入る角の少し先に常夜燈が立っています。
右奥は浅間神社の境内となっていますが、その一角に芭蕉の句碑が立っています。寛政5年(1793年)のものです。
「ふきとばす石も浅間の野分かな」
浅間山の石も吹き飛んでしまうほどの風が吹き荒れている荒涼とした情景のようです。
昇進橋を渡ります。追分宿の道はタイルが張られ、きれいになっていました。
堀辰雄文学記念館の入口には追分宿本陣の裏門が移築されています。
説明板によると、明治の終わりに御代田の内堀家がもらい受け、表門に使っていましたが、平成17年(2005年)に軽井沢町に寄贈され、この地に移築されました。
右手には土屋家本陣跡があります。表札には旧本陣と記されています。
その隣には高札場が復元されています。
高札場の脇のT字路には浅間山道路第一詣石の碑が立っています。ここから石尊山までの登山が許されています。
道はやがて国道18号と合流します。
かつてはここに西の桝形があり、追分宿の京側の入口でした。
下の写真は合流地点から振り返って見たもので、左手の道から歩いてきました。
合流点の角に茶屋つがるやがあります。
出梁造りの建物で、2階の壁には四角に斜め線(桝形)のマークとつがるやの文字が漆喰で描かれています。
西の桝形の先には北国街道との追分、分去れがあります。下の写真で左手の国道18号が中山道、右の道が北国街道となっています。北国街道は善光寺、そして、その先は高田(上越)まで続いています。
北国街道というネーミングも、また、この分去れの街道の光景もいい感じです。
角には常夜燈や道標があります。
その先で国道18号を横断して左の道へ入ります。交通量の多い国道です。横断歩道がないので、左を見て、右を見て、往来の合間を見て渡ります。
ここからは国道18号ともお別れです。
再びのどかな道となります。
浅間山麓を佐久盆地に向けて緩やかに下っていきます。追分宿あたりの標高が1,000m、岩村田宿の標高が700mなので、標高差300mを下っていくことなります。
国道から分かれて15分、左手に広い用水路が見えます。千ヶ滝湯川用水温水路と呼ばれている施設です。浅間山麓の湧水は温度が低く稲作に適さないため、ここで一旦、温度を上げています。
振り返ると浅間山が良く見えます。
緩やかに坂を下ります。
正面には蓼科山が見えてきました。山頂あたりだけ雪が残っています。
御代田町に入って25分、右手の道路脇に御代田の一里塚入口の標識が立っています。
道路脇の水路には、坂道に沿って水が勢いよく流れています。
右に曲がって民家の間を歩いていくと畑の中に西塚が見えてきます。
御代田の一里塚は慶長7年(1602年)に造られましたが、寛永12年(1635年)に街道を7mほど移動させた際に、そのまま残されたため保存状態が良いようです。
日本橋から数えて41里目の一里塚です。
東塚はというと、辺りを見回すとありました。
一里塚から中山道に戻るとすぐのところで、しなの鉄道の線路に突き当たります。
下をくぐるための地下道があり、線路の反対側に出ます。
線路をくぐった後、線路際を御代田駅方面へちょっとだけ歩くと栄町交差点に出ます。
ここを左折して小田井宿を目指します。
荒町地区に入ります。このあたりものどかな町並みです。相変わらず緩やかな下り坂が続き、正面には蓼科山や八ヶ岳の山々を見渡すことができます。
しなの鉄道の下をくぐってから20分、県道137号との交差点の角に小田井宿入口の碑が立っています。
いよいよ小田井宿です。