今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(12)佐久平から芦田 その1

 

2013年11月3日

 

岩村田

 

 8:30に佐久平駅前の駐車場に車を入れました。

 夏の暑さを避けて街道歩きの再開です。今日も同行者がいます。天気は曇。所々晴れ間の見えるまずまずの天気です。今の気温は15℃くらいですが、20℃くらいまで上がる予報です。

 佐久平駅前の木々は少しだけ赤や黄に色付きが始まっています。 

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 8:55、国道141号を南に向けて歩き始め、およそ15分で、本日のスタート地点の浅間病院西交差点に到着しました。ここを右折して中山道に入ります。 

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 住宅地を抜けると左右に田園風景が広がります。すでに田んぼの稲刈りが終わり、右手には浅間山が、左手には蓼科山から八ヶ岳の峰々を望むことができます。少し霞んではいますが稜線は良く見えます。

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 そして、リンゴ畑です。真っ赤な実をいっぱいつけています。

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 中山道に入って10分ほど歩くと濁川を渡ります。川を渡ったあたりに平塚の一里塚がありましたが、場所は特定されていません。日本橋から数えて43里目の一里塚です。

 すぐ先で中部横断自動車道の下をくぐると平塚地区に入ります。たまにしか車の通らない静かな通りです。

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 右手には諏訪神社があります。鳥居前の階段の脇には双体道祖神が何気なく祀られています。だいぶ風化しています。

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 刈り取った稲が干されています。最近ではあまり見なくなった風景です。 

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 諏訪神社から15分ほど歩くと、街道は二手に分かれます。ここを右に入りましたが、後から良く調べると左の道が中山道でした。 

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 その先にはレトロな広告が貼られた下塚原バス停があります。先ほど下塚原バス停を通過した気がします。こちらは使われていないのかもしれません。 

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 左に大きくカーブした右手に駒形神社の入口があります。標柱には「重要文化財 駒形神社」と刻まれています。重要文化財の社殿は橋を渡り、階段を上った先にあります。 

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 中山道塩名田宿に向けて坂道を下っていきます。駒形坂と呼ばれています。 

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塩名田宿

 

 5分ほど歩くと変形五差路の塩名田交差点に出ます。ここが東の桝形の跡で、塩名田宿の江戸側の入口でした。

 角には中山道塩名田宿の碑と道祖神が立っています。 

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 交差点を過ぎると下宿に入ります。宿場町の雰囲気が出てきました。 

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 中宿に入って左手の大井屋には丸山善兵衛本陣の看板が架かっています。塩名田宿にあった2軒の本陣のうちの一つがこの辺りにありました。 

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 そのはす向かいには、もう一軒の本陣である丸山新左衛門本陣跡があります。問屋を兼ねていました。

 建物は宝暦6年(1756年)に再建したものです。鬼瓦が立派です。

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 その先の町並みもなかなか良い雰囲気です。

 左手には塩名田宿最古の町屋の様式を伝える佐越佐藤家住宅があります。 

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 その先で車道は左へカーブしますが、中山道は手前のガードレールの脇を入ります。 

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 ここは千曲川河岸段丘の縁にあたり、対岸の御馬寄の家々まで見渡せます。 

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 段丘崖を下って行きます。

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 その先は河原宿となります。坂を下ったところには木造三階建ての角屋が建っています。角屋は休み茶屋でした。

 左手の大きなケヤキの木の根元から湧水が流れています。段丘の礫層を通って湧いているのでしょう。かなり冷たいです。 

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 その先はお滝通りと呼ばれ、町並みがきれいに保たれています。

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 お滝通りは千曲川に突き当たります。

 江戸時代にはここから対岸まで橋が架けられていましたが、洪水が起こるたびに橋は流され、何度も架け替えられていました。明治になると、舟を9艘並べた上に板を敷いた舟橋が架けられました。その時に舟をつなぐ「舟つなぎ石」が河原に見えます。しかしながら明治25年(1892年)に木橋が架けられ、舟つなぎ石の役目は終わりました。 舟つなぎ石は佐久市有形文化財に指定されています。

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 左手には現代の中津橋が見えます。

 川沿いを左方向へ歩き、橋の下をくぐると左手すぐのところに橋上に上がる階段があります。

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 中津橋は車道と歩道が完全に分けられていて、のんびり渡ることができます。

 今日の千曲川の流れは穏やかですが、氾濫の時は旅人に恐れられていたのでしょうね。 

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 千曲川を渡ると御馬寄地区に入ります。塩名田宿の加宿とされていました。

 御馬寄という地名は、かつて朝廷に献上する望月の馬をこの地に集めたことが由来だそうです。

 緩やかな上り坂となります。 

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 坂を上り横断歩道橋の手前で右の細い道に入ります。すぐに元の道と合流しますがその手前、右手には浅間山をバックに大日如来像が鎮座しています。 

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 通りの道に合流してすぐの右手に一里塚の標柱が立っています。御馬寄の一里塚で、日本橋から数えて44里目の一里塚です。 

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 坂道を上り切るとその先は下り坂に変わります。

 遠くに八幡宿の町並みが見えてきます。

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中山道(12)佐久平から芦田 その2へ続きます。

 

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