2013年11月3日
八幡宿
御馬寄の一里塚から歩いて15分、中沢川を渡ると東の桝形跡となり、八幡神社前あたりが八幡宿の江戸側の入口でした。
八幡神社の旧本殿は高良社と呼ばれ延徳3年(1491年)の建立です。国の重要文化財に指定されています。
宿場町らしい町並みが続きます。
八幡神社から5分で右手に小松家本陣の門が残っています。和宮も宿泊しました。
本陣のはす向かいには脇本陣がありましたが、よく分かりませんでした。
古い町並みは続きます。
町並みのはずれで右の細い道に入ります。
すぐに元の道と合流します。合流点には八幡宿碑が立っています。
このあたりが八幡宿の京側の入口でした。
やがて国道142号と合流して国道を歩きます。
右手には稲刈りの済んだ広大な田んぼが広がっています。ここは御牧原と呼ばれ古代の馬の放牧場でした。
その先国道の反対側に渡り、街道ウォーカが立ち寄るくまさんで昼食を取りました。
再び、国道の反対側に渡り、佐久平からの県道との交差点、百沢東交差点を横断します。歩行者は押しボタンを押して信号を変えます。
交差点を横断したら正面の柵を左側から回り込み、正面の細い道に入ります。
道の先には百沢の家並みが見えてきます。
ここだけ取り残されているような百沢地区の町並みです。
町並みが終わるあたりで右手に双体道祖神があります。祝言道祖神と言われています。
安曇野地方で発生した道祖神は、通常は神々の装束を身に着けたものが多いのですが、ここのものは宮廷貴族の装束を身に着けており、男女が酒を酌み交わす祝言像を表しています。
中山道はすぐに布施温泉入口交差点で国道142号と合流します。ここは国道を横断して直進します。
国道を横断すると、道は大きく右にカーブして国道に近づきますが、その先で今度は左へ大きくカーブします。
このカーブの右手にある細い土道に入ります。角には古い道標と中山道の標識が立っています。
民家の脇の草道を登っていくと舗装道路へ出ます。ここを右折します。ちゃんと中山道の標識があります。
融雪基地の脇で国道142号に出ます。
中山道は国道を横断して直進します。ここの横断も車がひっきりなしに走っていて、なかなか渡れません。
横断した角には、燈籠を模した望月宿の石碑が立っています。
里山を歩きます。道なり大きくU字を描いて坂を上っていきます。
木々の中に入った先の左手に瓜生坂の一里塚跡の石碑が立っています。日本橋から数えて45里目の一里塚です。
両塚とも現存しているとのことですが、盛り土の形はよく分かりませんでした。
その先、坂の頂上には瓜生坂の碑と石仏があります。
瓜生坂の碑のすぐ先を左に入ります。
ここからは下りの草道です。大きく迂回する車道をショートカットしていきます。
すぐに車道に出てしまいます。その先のガソリンスタンドの向こうに望月の町並みを望むことができます。
今日は望月の草競馬が開催されているようです。アナウンスの声が山の中から響きますが、どこで行われているのかは分かりません。
その先、ガードレールの切れ目から右へ入ります。中山道の標識もあります。
長坂と呼ばれる下り坂です。望月宿も間近です。
坂の途中にある道祖神や馬頭観世音を見ながら下っていきます。
長坂は鹿曲川に突き当ります。左手へ歩いて長坂橋を渡ります。
鹿曲川は望月の町中を流れ、その先で千曲川に流れ込みます。
望月宿
長坂橋を渡ると古い町並みになります。
中山道をコの字型に通ります。道なりに左へ曲がり、すぐの土壁の蔵の脇を右折して、さらに次の十字路を右折します。
このあたりが東の桝形で望月宿の入口になっています。
趣のある町並みが続きます。
望月宿に入って10分弱で左手にある望月歴史民俗資料館に着きます。ここはかつて大森家本陣があった場所です。