2013年11月3日
望月宿本陣
望月歴史民俗資料館の隣には大森小児科医院があります。ここでは「御本陣」という看板を掲げています。
本陣の斜め向かいには鷹野家脇本陣跡があります。問屋も兼ねていました。
脇本陣の少し先には大和屋という屋号を掲げている真山家住宅があります。この建物は望月宿では一番古く、国の重要文化財に指定されています。
しばらく歩くと、左手には大伴神社があります。毎年8月15日に行われる例祭「榊祭」が有名だそうです。100人を超える老若男女が松明を持って山から駆け下り、鹿曲川へ一斉に放り込んだり、榊の神輿を地面に叩きつけて水をかけあう祭で奇祭と言われています。
緩やかな坂道を上がり御桐谷(おとや)交差点、御桐谷西交差点を通過して、その先左手の住宅地の間の坂道を上がります。ここにも中山道の標識があります。
坂道を上がると開けた場所に出ます。木造の校舎のある公園があります。小学校か中学校の跡地のようです。
さらに右手の急坂を登ります。
土屋電線の手前で国道142号の下をくぐります。
その先、道はバス通りとなり緩やかに坂を上がっていきます。
右手に溜め池が見える先のY字路を右に入ります。角にはこれから訪れる茂田井宿の説明板があります。
その先、誰も通らない道を歩いていきますが、前方には茂田井宿の町並みが見えてきます。
右手の高台には神明社があります。宝永6年(1709年)にこの地の初代名主が願主となり建立されました。
そして、いよいよ茂田井宿の町並みに入ります。茂田井は間の宿でした。
街道筋の趣を残す光景です。
右手には武重本家酒造の蔵並が見えてきます。下の写真は蔵並を振り返って見ています。
道を隔てた反対側にも武重本家酒造の蔵が立っていますが、その前に若山牧水の歌碑があります。この地に滞在して詠んだ歌3首を収めていて、 いずれも酒に因んだ歌です。
さらに、右手にはもう一軒の造り酒屋の大澤酒造があります。美術館と民俗資料館を併設しています。
大澤酒造の塀には茂田井村下組高札場跡の説明板が設置されています。
大澤家は、幕末に水戸天狗党が中山道を通過する際に、それを追ってきた小諸藩兵士の本陣となったと記されています。
国道142号に通じる十字路を越えた先のT字路の角に馬頭観世音が立っています。結構大きな石仏ですが、傾いているのでしょうか。
さらに茂田井の町並みは続きます。
その先で道の傾斜が変わり、急な上り坂になります。石割坂と呼ばれています。
中山道開設時に大きな石があって通行に不便であったため、石を割って開通させたことから石割坂という名前が付いています。
坂の途中、茂田井村上組高札場跡の説明板があります。茂田井のもう一軒の名主宅の前に設置されていました。
その先の左手には茂田井の一里塚跡があります。塚を模した盛り土があり。説明板やベンチが置かれています。日本橋から数えて46里目の一里塚です。
さらに数分で先ほど分かれたバス通りと合流します。角には茂田井間の宿入口の標柱が立っています。
右折してバス通りの坂道を上ると、その先は芦田宿に向けて緩やかな下り坂になります。
浅間山もよく見えます。
芦田川を渡ると中居交差点です。角には「これより芦田宿」の標識と燈籠を模したモニュメントや芦田宿の説明板が立っています。
中居交差点を直進して、さらに緩やかに下ります。
すぐに立科町役場入口交差点に着きます。バスの時間の都合上、本日の街道歩きはここまでとします。左折して役場前のバス停に向かいます。
途中立科町役場の前を通りました。商工祭りが賑やかに行われていて、寄りたいところでしたが、バスの出発時刻まであまり時間がなかったのでそのまま素通りしました。今日は文化の日でしたね。
役場の隣にあるバス停に14:15に到着しました。5時間20分の行程でした。
バスに乗り込み、今日歩いた道をところどころ窓から眺めつつ40分で佐久平駅に到着しました。