今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(13)芦田から男女倉口 その1

 

2013年11月23日

 

芦田宿

 

 今日も車で佐久平駅にやってきました。7時過ぎに到着して、7:51発のバスに乗って終点の立科町役場を目指します。

 天気は晴。今日は終日、快晴の予報です。気温は1℃で、すでに初冬です。佐久平駅前の歩道は凍結していました。

 バスは時刻通り8:30に終点の立科町役場前バス停に到着しました。 

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 8:35に本日のスタート地点である立科町役場入口交差点に向けて歩き始めます。

 見上げると芦田宿の街灯は行燈風です。 

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 立科町役場入口交差点を左折して中山道に入ります。

 空は快晴なのですが、浅間山の中腹に雲がかかっています。浅間山から見ると、きっと雲海が広がっているのでしょうね。 

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 中山道に入ると緩やかな上りとなり、左へカーブします。このあたりが東の桝形跡で江戸側の入口でした。 

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 芦田宿の中心地に入ります。芦田バス停の先の右手に本陣土屋家住宅があります。門の脇には説明板が立っています。客殿は県宝に指定されています。 

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 本陣の道を隔てた反対側の駐車場奥の住宅の前に脇本陣の標柱が立っています。山浦家が務めていました。遺構はなさそうです。 

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 その先の芦田中央交差点の左手角にある藤屋の前にも脇本陣の標柱があります。ここも山浦家が務めていました。

 通りの日陰側のアスファルトはまだ凍っていて、注意深く歩かないと足を取られそうになります。

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 藤屋の向かいは明治25年1893年)創業の天然味噌、醤油醸造元の酢屋茂があります。 

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 藤屋の先左手には現在も営業を続けている金丸土屋旅館があります。出梁造りで煙だしの腕木が特徴的です。2階に掲げている看板は江戸側から見ると「土屋」、京側から見ると「津ちや」と書かれています。 

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 京側から見ると「津ちや」となっています。 

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 芦田交差点の先が桝形になっていて京側の入口でした。その手前左手の高台には正明寺があります。入口からは大きな枝垂れ桜の木が見えます。 

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 その先で町役場からの道と合流します。右側には石打場公園があり、芦田宿の説明板があります。 

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 さらに、国道142号との交差点、芦田宿交差点に出ます。正面の道は国道254号になります。 

 近くの山々は鮮やかに紅葉しています。

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 交差点を一旦横断して、左折して国道142号に入り、すぐのところを右に入ります。入口には常夜燈が立っています。 

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 その先から笠取峠の松並木が始まります。車両は入れなくなり、石畳の道になります。

 慶長7年(1602年)に江戸幕府中山道の整備に着手し、小諸藩では幕府より下付された赤松数百本を植栽しました。芦田宿のはずれのこの地から峠までの1.6kmの間、松並木が続いていました。現在は100本ほど残っていて、長野県の天然記念物に指定されています。 

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 やがて石畳の道は国道142号と交差します。その手前には松並木公園があります。

 常夜燈や説明板があります。また、「従是東小諸領」と記された石碑が立っています。文化3年(1806年)に小諸藩が立てた領界石を復元したものです。 

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 国道142号を横断します。 

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 さらに松並木は続きますが、その先で国道142号と合流し国道に入ります。 ここで笠取峠の松並木は終わりになります。

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 笠取峠に向けて坂道を上ります。時々、車がスピードを上げて追い越していきます。比較的広い歩道があるのでとても歩きやすいです。 

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 さらに勾配が急になり、登坂車線が現れたあたりの右手に一里塚碑が見えてきます。笠取峠の一里塚です。日本橋から数えて47里目の一里塚です。 

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 道は峠に差し掛かり、長和町に入ります。切通の上に「旧中山道笠取峠」と記された標柱が立っています。 

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 峠を過ぎると視界が開け、別荘地に入ります。途中、道の両脇に常夜燈を模したモニュメントがあります。「これより長久保宿」と記されていますが、長久保宿はもう少し先のはずです。 

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 右手道路壁面には、タイルで作られた笠取峠の立場茶屋の絵が描かれています。

 長久保宿の釜鳴屋にこの絵の版木が残されていました。

 昔の峠は現在の峠より数m南に位置し、標高も数m高いところにありました。

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中山道(13)芦田から男女倉口 その2へ続きます。

 

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