今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(13)芦田から男女倉口 その3

 

2013年11月23日

 

大和橋

 

 四泊の一里塚から国道に出てすぐに大和橋交差点に着きます。Y字路の交差点ですが、右手が和田宿方面の国道142号、左手が大門街道で国道152号に分かれます。

 この交差点では一旦左手の大門街道へ入ります。 

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 右手に依田川を見ながら 歩きます。その先で右からの依田川と左からの大門川が合流します。依田川の流れはまるで滝のようです。 

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 すぐを右折して落合橋を渡ります。 

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 その先、依田川に架かる和田橋を渡ります。そのまま直進すると国道142号に出られますが、渡った橋の袂にある中山道の青い標識に従って左折して依田川沿いを歩きます。 

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 ガソリンスタンド脇の階段を上がると国道142号に出ます。 

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 国道を左方向に歩き青原交差点を渡ります。 

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 国道を渡ると角には水明の里と呼ばれる小公園があり、中山道の碑や説明板があります。

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 水明の里の角で国道から右に入ります。再び、依田川に沿った道を歩きます。

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 この道はバス通りになっています。バス停の待合所が様々な造りの建物になっていて楽しめます。まずは、上深山口バス停です。茅葺屋根のバス停です。 

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 下和田中組バス停です。こちらは神殿造りでしょうか。

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 バス停の裏には馬頭観世音が立っています。旅行く人々の安全を見守っていたのでしょう。 

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 その先の左手にはミミズの道祖神があります。正式にはミミズの碑と呼ばれています。ミミズは土壌の栄養を増やすのに欠かせない存在でした。このため、この地の人々の希望で祀られました。

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 さらに数分で三千僧接待碑が立っています。諸国遍歴の僧侶への接待碑で、一千人の僧侶への供養接待を発願して見事に結願しました。そのためさらに二千増やして発願しました。石碑には一千の上に横棒2本を加えて三にしたと言われています。 

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 その先の上立場、下和田上組のバス停と、下和田中組バス停と同じデザインが続きます。下和田上組の町並みです。

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 下和田上組のバス停から10分ほど歩くと道路脇にポツンと一里塚の石碑が立っています。芹沢の一里塚です。日本橋から数えて49里目の一里塚です。 

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 芹沢のバス停です。こちらはとんがり屋根の洋風です。

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 しだいに上り坂がきつくなります。

 気が付いて後ろを振り返ると、雪を頂いた浅間山が遥か遠くに見えます。思えば、今年の初めに雪の浅間山を目指して上州路を歩いてきましたが、夏も過ぎて再び雪の積もる季節になってしまいました。

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 一里塚碑から歩いて15分、坂の途中に「是より和田宿」の碑があります。 

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 石碑の先、右手には立派な小学校、中学校が見えてきます。

 道は大きく右へカーブします。右手階段の上には八幡社の鳥居が立っています。本殿は一間流造(ながれづくり)で江戸時代中期のものと推定されています。 

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和田宿

 

 和田新田のバス停は何の変哲もないコンクリート製でした。その脇には道祖神があります。こちらは最近のものだそうです。

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 追川を渡ると下町に入ります。ここからは宿場町の雰囲気を残した家並みを見ることができます。

 川の脇には旧旅籠の河内屋があります。文久元年(1861年)の大火で焼失しましたが再建されました。現在は歴史の道資料館となっています。 

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 河内屋のはす向かいには問屋と旅籠の大黒屋があります。

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 中町に入ります。中町の十字路の角には本陣跡があります。
中山道に面しているところには冠木門が、左に曲がったところには御入門が復元されています。 

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 十字路の先右手には翠川家脇本陣跡があります。ここも文久元年(1861年)3月の大火で類焼しましたが、同年11月の和宮降嫁の際に和田宿に宿泊されるので昼夜兼行で宿内復旧を行いました。その時に当脇本陣も再建されました。

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 脇本陣の先左手にはよろずやがあります。見事なうだつと重厚な蔵が目を引きます。 

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 脇本陣から5分のところの右手には高札場跡があります。説明板のみが立っています。

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