2014年5月10日
男女倉口
ゴールデンウイーク明けの土曜日、車で下諏訪までやってきました。
男女倉口までなるべく早く行けて、帰りのことを考えると下諏訪駅からタクシーを使うことを選びました。
天気は晴れ、気温は10℃くらいです。
8:40に下諏訪駅前交差点にある駐車場に車を止めて、下諏訪駅へ向かいました。
下諏訪駅前からタクシーに乗り込み、国道142号の新和田トンネルを通って25分ほどで本日のスタート地点である登山口に到着しました。運賃は6,200円とトンネル通行料の620円が掛かりました。
半年ぶりに標高1,100mの登山口に立ちます。すでに新緑の季節に変わっています。
9:25から歩き始めました。
すぐ下に沢が流れている道を登り始めます。明るい山道です。
「〇月に熊が出没しました。」という貼り紙があります。ただし、何年とは書いてありせん。気を引き締めて歩きます。
しばらくして、前方に避難小屋が見えてきました。
避難小屋の脇には柵をめぐらした石仏群があります。三十三観音と呼ばれています。かつてこの山の中腹にあった熊野権現社の前に並んでいた石仏ですが、旧道の荒廃によりこの場所へ移されました。現在は二十九体しかないそうです。
ほぼ直線上に登っていきます。結構きつい登りです。
しかし、沢のせせらぎの音やウグイスの声が聞こえ、時々風が通ってとても気持ち良い街道歩きです。
登山口から25分で先ほど分かれた旧国道に出ます。
右手には永代人馬施行所が復元されています。
江戸呉服町の豪商が峠越えの難儀を考え千両を幕府に寄付し、その利息100両を二分して、坂本宿と和田宿に下付しました。施行所では旅人には11月から3月までの間、粥と焚き火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施行しました。
そういえば説明板だけでしたが、碓氷峠の手前にも人馬施行所がありました。
また、道を隔てた反対側には駐車場があり、休憩の車が何台か停まっていますが、その一角には水場があります。非常においしい水で、わざわざ汲みに来る方も多いとか。
しばらく旧国道を歩くと右へカーブするところで、中山道は再び直進方面の草道に入ります。
新芽の出始めたカラマツ林を歩きます。
施行所から20分で避難小屋に着きます。かなり荒れた小屋ですがトイレもあります。
このあたりから不揃いの石が並んだ石畳が始まります。非常に歩き辛いです。
昔の人はこんなところを歩いていたのでしょうか。それとも石の上には土が覆っていたのでしょうか。
所々、水量の少ない沢を渡ります。
和田峠は分水嶺になっていて、このあたりの水は信濃川を経て日本海へ、諏訪側の川は諏訪湖、天竜川を経て太平洋に注いでいます。
相変わらず直線的に登っていきます。
施行所から30分で広原の一里塚に着きます。東塚だけが現存しています。日本橋から数えて52里目の一里塚です。
キャンプ場の脇を通ります。時期的なのか、元々なのか分かりませんが閉鎖されています。
キャンプ場からは現代の石畳道が続き、やがて旧国道に出ます。
旧国道を歩くとすぐに東餅屋に着きます。右手には説明板が立っています。ここにはかつて5軒の茶屋があり名物の餅を振る舞っていました。幕末には茶屋本陣が置かれていたようです。今では石垣が残るのみとなりました。
説明板の向かいには、街道歩きの先人たちの休憩場所であったドライブインがありましたが、今は廃屋となっています。
旧国道は右へカーブした先で、右へ入るビーナスラインへの道との三叉路になります。
中山道はその手前で石畳の道に入ります。
すぐに左へ大きくカーブしてきた旧国道に出るので、ここを横断します。
しばらく山道に沿って進むと、今度は先ほど右に分かれたビーナスラインへの道のガードレールが見えてきます。
青い標識に沿って登っていくと、ビーナスラインへの道の下をくぐります。水路兼歩道になっています。
トンネルの下をくぐると左へ入り、しばらくビーナスラインへの道沿いを歩いていきます。
道なりに進むと、今度はビーナスラインの本線に突き当たります。ここから道路脇を数十m右へ歩くと、車道の反対側にその先の中山道に入る標識が見えてきます。ここでビーナスラインを横断します。あまり車通りはありません。
ビーナスラインを横断して反対側にある階段を上がっていきます。また、道なりに登っていくと、左手下のほうにビーナスラインへの道と本線の合流点が木々の間から見ることができます。
その先、再びビーナスラインに突き当たります。ここも横断して、正面の石畳の道へ入ります。
熊笹とカラマツ林の道を歩きます。とても気持ちがよい場所です。
そして、三度ビーナスラインを横断します。正面の階段を登ります。
三度目のビーナスラインを横断すると空が広くなります。今は閉鎖されているスキー場の脇を登っていきます。
やがて和田古峠の頂上が見えてきます。