2014年5月10日
諏訪大社下社春宮
ヘアピンカーブに沿って右に曲がり下社春宮へ向かいます。
T字路を右折すると正面には大きな鳥居が立っています。
言わずと知れた信濃國一宮、諏訪大社四社の一つです。立派な拝殿が建っています。
鳥居に戻りその前を右折して万治の石仏へ向かいます。
砥川の中州である浮島を2本の赤い橋で渡ります。
砥川の反対岸に渡り右へ歩くと、万治の石仏が鎮座しています。350年以上ここに座っています。岡本太郎や新田次郎がその姿に感嘆し、世に紹介したそうです。訪れる人も多いです。
帰りは砥川沿いを歩き、車道に出たところを左折して医王渡橋を渡ります。
そのまま進むと再び春宮の鳥居の前に出ます。来た道を歩いて、ヘアピンカーブまで戻ります。角には道標が立っています。「右 中山道 左 諏方宮」と刻まれています。
その先、直進方向に進み中山道に入ります。カーブミラーの左手へ入ります。
中山道に入ってすぐの左手には慈雲寺の入口があります。お寺は階段をかなり上った先にあるようです。
入口の傍らでは龍の口から水が出ています。そのままの「龍の口」と呼ばれています。
雰囲気のいい町並みが続きます。
右手には一里塚の碑が立っています。下諏訪の一里塚です。日本橋から数えて55里目の一里塚です。
その先には伏見屋邸が建っています。元治元年(1864年)に建築された商家で、復元修理を行い現在は観光客の休憩所として使われています。
少し歩いた左手には御作田神社があります。境内には小さな田んぼがあり、下社の御田植神事(御作田祭)が行われます。
下諏訪宿
御作田神社から5分ほどで道の両側に常夜燈のモニュメントが立っています。
このあたりが江戸側の入口でした。
右手には番屋跡の石碑も立っています。
ここから下諏訪の温泉街も始まります。下諏訪宿は中山道で唯一温泉のある宿場町でした。
合宿に来ているのでしょか、高校生が賑やかそうに歩いていました。
そして急な坂を上ります。
坂を上がると左手から国道が合流してきます。その角には先ほどの宿場の入口にあったものと同じ常夜燈が立っています。坂道を振り返って見ました。
すぐの右手には御宿まるやが見えてきます。現在は旅館として泊まることができますが、かつてはここに脇本陣がありました。建物は脇本陣を忠実に再現したものだそうです。
本陣はその向かいにあります。岩波家本陣です。和宮が宿泊した上段の間が残されています。立派な門構えです。
本陣跡の隣は問屋場跡です。
駐車場の奥に問屋場跡の碑が立っています。
その脇には下諏訪の温泉の様子を描いたタイル絵が飾られていました。
問屋場跡の前はT字路になっていて、中山道と甲州街道の合流点になっています。中山道はここを右折します。直進方向は甲州街道です。
「甲州道中・中山道合流之地の碑」が立っています。甲州街道は江戸時代には甲州道中と呼ばれていました。
まるやの角を右折するのが中山道です。
中山道へ進む前に、秋宮へ寄り道をします。
甲州街道に入り、道なりに進みます。
右にカーブした右手に歴史民俗資料館への入口(裏手)があります。蔵の間を入っていきます。正面入り口は中山道に面したところにあります。
すぐの左手を入ると秋宮です。
秋宮の鳥居の手前を左に入って中山道と甲州街道の合流点、追分に戻ります。
すぐの右手には甲州道中番屋跡の石碑が立っています。この道が甲州街道でこのあたりに江戸側の入口がありました。
諏訪大社下社宝物殿の前を通っていくと、右手に新鶴本店があります。名物の塩羊羹を買いました。ほのかな塩味が効いていて何とも言えない素朴さを感じる羊羹でした。
追分に戻り、まるやの角を左折して中山道に戻ります。下の写真はまるやの前で振り返ったものです。復元されたとはいえ、なるほど立派な建屋です。
左手には、先ほど裏から見た歴史民俗資料館があります。明治初期の商家の建物だそうです。
所々街道の面影を残す通りを歩きます。下の写真も逆光のため振り返って撮りました。
国道142号に出る手前、中山道下諏訪宿の提灯が下がったゲートをくぐります。このあたりが京側の入口でした。
国道142号を右折して坂道を下ると、その先大社通り交差点で左からの国道20号と合流します。大社通り交差点を直進しますが、ここからは国道20号に変わります。
さらに5分くらい歩くと、本日のゴールである下諏訪駅前交差点に到着します。
時刻は15:05。5時間40分の行程でした。近くの駐車場に止めた車で帰路につきました。