2015年4月30日
洗馬宿
早朝に車で家を出発して、なんとか8:00に塩尻駅前の駐車場に入り、8:17発の中津川行きの電車に間に合いました。これを逃すと2時間30分待ちです。電車に乗ると、あっという間に次の洗馬駅に到着します。
天気は晴れ、気温は10℃を越えたくらいでしょうか。8:25に本日のスタート地点の洗馬駅入口目指して歩き始めます。
駅前を右に進み、左折して坂道を下ると中山道に出ます。
左折して中山道に入ります。
すぐの左手にある農林業体験自習館の脇には洗馬学校の説明板があります。明治11年(1878年)に開智学校を建てた棟梁によって建てられました。近隣に例を見ない回り階段やバルコニーのある洋風三階建ての建物でした。ガラスケースの中には当時の校舎のイラストが貼ってあります。相当斬新的な建物だったのでしょうね。
その先、左手の民家の塀に洗馬宿本陣跡の標識と説明板があります。
さらに その先には、荷物貫目改所跡の説明板や脇本陣の標柱があります。標柱の後方には、明治天皇御駐輦(ごちゅうれん)之處の碑が立っています。洗馬宿は昭和7年(1932年)の大火で宿場時代の建物は全て消失してしまいました。
たまに車が通る静かな洗馬宿の道を歩きます。
道が下り坂に差し掛かる手前の左手には、高札場跡があります。高札場の説明板と洗馬宿の碑が立っています。高札は御判形(おはんぎょう)とも呼ばれていました。このあたりに洗馬宿の京側の桝形がありました。
坂道を下って、JR中央本線のガードをくぐります。
下り坂から上り坂に変わり、坂の途中に民家が並ぶ左手に一里塚碑が立っています。残念ながら、標柱の文字が半分消えかかっています。牧野の一里塚です。日本橋から数えて60里目の一里塚です。
牧野地区に入ります。天気は快晴です。右手には奈良井川が流れているはずですが、川の流れまでは見渡せません。
一里塚から10分強、牧野交差点で国道19号と合流します。歩いてきた県道は右に大きく弧を描いて国道と合流しますが、歩行者はショートカットできます。
しばらく国道の歩道を歩き、本山浄水場標識の先、本山方面への標識に従って右手に入ります。
本山宿
国道から分かれて7分ほど歩くと、本山そばの里があります。街道脇には「本山宿そば切り発祥の地」の説明板があります。本山宿のそば切りは古くから様々な文献に紹介され、そのため発祥の地と考えられています。
このあたりに本山宿の下木戸がありました。江戸側の入口でした。
しばらく歩くと、左手には小林本陣跡があります。少し奥に入った建屋の前に、明治天皇本山行在所の石碑が立っています。
本陣跡の向かいには、川口屋、池田屋、若松屋の三軒の旧旅籠が斜交い(道に対して斜め)に建てられています。国の登録有形文化財に指定されています。うだつの上がった立派な旅籠で、明治2年(1869年)の大火以降に建てられたと言われています。川口屋の二重出梁はとても珍しいそうです。
脇本陣、上問屋跡は標識のみです。
本山宿の町並みは続きます。
その先、中山道は国道19号と合流します。少し手前には、高札場跡、上木戸跡があります。本山宿の京側の入口でした。
国道と合流する左手の石垣の上には本山宿の看板が立っています。
JRの線路と並走しつつ、国道を歩きます。
5分ほど歩くと、右手にシンセイの工場が見えるところで右に入ります。
第二中仙道踏切を渡り、シンセイの前を道なりに歩くと、国道から分かれた旧国道と合流します。
日出塩地区に入ります。
すぐの左手には日出塩の一里塚碑が立っています。日本橋から数えて61里目の一里塚です。
日出塩駅入口を通過すると、正面には県道を跨ぐ国道が見えてきます。
道の傍らには白と赤の花桃(?)がきれいに咲いています。
一旦県道は国道の下をくぐります。
その先で国道と合流しますが、国道の右側にしかない歩道へ向かうために、歩行者はもう一度国道の下をくぐります。
国道と合流して、国道の右側の歩道を歩きます。
今度は山桜でしょうか道路脇にきれいに咲いています。
国道の歩道を歩いて10分ほどで、左手から初期中山道と合流します。歩道の脇に説明板があります。初期中山道は慶長6年(1601年)に大久保長安によって整備されました。下諏訪から岡谷、三沢峠、小野宿、牛首峠を経てこの地、桜沢に出ます。長安没後は塩尻を通る道筋に変えられ、初期中山道は小野街道として諏訪地方と木曽、伊那地方を結ぶ主要街道となりました。昨年(2014年)、塩尻宿を歩いた際に、塩尻宿開設400年記念の催しがありました。
そして、国道の標識に「是より南 木曽路」が現れました。国道に架かる桜沢橋の下を流れる川は境川と呼ばれ、松本藩と尾張藩の境界でした。いよいよ木曽路です。