2015年9月12日
鳥居峠道藪原口
峠道が終わり、旧国道に出ると、その先はカラマツの明るい林に変わります。
カラマツ林を抜けると人里に出ます。旧国道と合流して5分ほどで車道を横切ります。道はさらに藪原宿に向けて下ります。
左手にある天降社へ上がる階段の脇に、モミジの巨木が立っています。胸高直径80cmの巨木と記されています。天降社の境内は「大神宮の森」と呼ばれ、カエデの老木が多く見られました。中山道沿いにあるため広く知られていたようです。
まだ青々としていますが、紅葉の時期は圧巻の眺めとなるのでしょうね。
天降社からすぐのところに原町清水と呼ばれる水場があります。昔から旅人の喉を潤してきました。今も飲み水として使われているそうです。キュウリとビールが冷やしてありました。
やがて住宅地に入ります。
その先は視界が開けた場所で突き当ります。やっと、藪原宿の町並みが見えてきました。
突き当りの右手、民家の入口の手前に尾州御鷹匠役所跡の碑と説明板が立っています。毎年春になると、尾張藩から鷹匠と役人が出張してきて、鷹の飼育や調教、巣山の管理や巡視を行っていました。
突き当りを左へ下ります。その先の左手には飛騨街道追分の碑が立っています。飛騨街道は奈川街道とも呼ばれ、野麦峠を経て飛騨高山へ通じています。追分から藪原宿方面に目をやると、一直線に伸びる中山道が線路で分断されているのが分かります。
ここから右手の路地に入り、線路沿いを戻るように歩くと跨線橋で線路を渡ることができます。
藪原宿方面の眺めです。山の中です。
藪原宿
マンホールの蓋には「源流の里 木祖村」と書かれています。木曽川の源流ということでしょう。
すぐの左手には本陣跡があります。標柱のみが立っています。
その先の左手には旧旅籠米屋(こめや)があります。その向かいは湯川酒造で、清酒「木曽路」の蔵元です。下の写真は振り返って見たところです。
さらに左手には石垣と松の木が見えてきます。防火高塀跡です。元禄8年(1659年)の大火の後、防火対策のために各戸1間につき1寸の土地を出し合い広小路を作りました。そこに石垣を作り、高い塀を廻らせて防火壁としました。このような対策は他にはあまり見られないそうです。
防火高塀跡の先には、お六櫛問屋篠原商店があります。
その昔、妻籠にお六という娘がいて、頭の病に悩まされていました。このため、御嶽山に願をかけたところ、みねばりという木で櫛を作り髪をすくと良いというお告げがあり、その通りにしてみると瞬く間に病が癒えたという伝説が残っています。
鳥居峠にはみねばりの木があり藪原で櫛が作られるようになりました。中山道を行き交う旅人が広め、藪原宿の名産となりました。
しばらく歩くと道は二手に分かれます。右へ入るのが中山道で京側の桝形となっています。分岐には高札場跡碑が立っています。
その先で分かれた二つの道は合流し、小さな橋を渡ります。
道なりに進むと、右手の村民センターにD51機関車の展示があります。その傍らに一里塚の石碑が立っています。藪原の一里塚で日本橋から数えて66里目の一里塚です。
すぐの突き当りで左折して道なりに進むと、JR中央本線のガードをくぐります。旧中山道はガードの手前で右に入りますが、その先で行き止まりになっているようです。
現代の中山道はガードをくぐったT字路を右折しますが、本日の街道歩きはここまでとして、T字路を左折して藪原駅に向かいます。
藪原駅に到着したのが15:05で、3時間45分の行程でした。
電車の時刻まで少し時間があったので、駅正面の高台にある道の駅まで登ってみました。道の駅から見た藪原宿の眺めです。