今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(19)木曽福島から須原 その1

 

2015年11月21日

 

木曽福島

 

 朝、塩尻駅まで車で来ました。駅前の駐車場に車を止めて、8:17の中津川行きの電車に乗り込みました。木曽福島駅に到着したのが9:01です。天気は薄曇りで、所々青空が見えていますが、結構寒いです。

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 街道歩きをスタートさせる前に、駅前の観光案内所に立ち寄り、木曽路歩きのバイブルをいただきました。

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 観光案内所の方から旧鉄道トンネルが通行止めになっていることと、上松宿手前の迂回路の話を聞いて、9:15に歩き始めました。

 御嶽神社の左脇の道に入ります。

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 右側の歩道を歩いて坂を上っていくと木曽町役場の前に出ます。正門脇に中山道は右に進むように標識が立っています。

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 役場の脇の細い道を回り込みます。かなりの高台まで上ってきました。福島の町並みが下の方に見えます。

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 その先で高台に上った分を一気に下っていきます。

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 やがて家並が現れたところで車道に合流し、ここを左折します。家々の煙突から白い煙が立っています。木曽路はすでに冬です。

 車道との合流点には「ここは塩渕です」と書かれた説明板が立っています。シオとは屈曲部を表し、木曽川の屈曲部にできた渕を指す説や、かつて馬に乗せた塩を木曽川の渕に落としてしまったことから付いたという説があるそうです。

 その先、塩渕くらぶ(公民館)の建物前に塩渕の一里塚の碑が立っています。日本橋から数えて70里目の一里塚です。

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 静かな朝の道を歩きます。

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 やがて県道461号に出るので左折します。その先、県立木曽病院の標識のある交差点の手前の坂道を上ります。

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 7分ほど急坂を上るとT字路に突き当ります。正面には「ここは中平です」の説明板が立っています。天保9年(1838年)の木曽巡行記には、ここに立場が置かれ木櫛を売っていたという記載があったそうです。中山道の標識に沿って右折します。

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 静かな山里を歩いていくと、正面に国道の高架橋が現れ、その先に旧中央本線のトンネルが見えます。今歩いてきた道は廃線になった線路跡だったようです。

 先人たちのブログではこのトンネルを抜けて先に進むように書かれていますが、先ほどの観光案内所の方の言う通り、崩落の危険があるので、上を走る国道19号を歩くことにしました。

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 ここで大失敗をしました。

 国道を通るために高架橋手前の左手の道を上がります。ダイハツの店の前で国道に出て、しばらく歩道を歩きます。

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 ところが先ほどの高架橋のところまで来ると、歩道が無くなっているではありませんか。車が猛スピードを出して通る中、一瞬躊躇しましたが、意を決して歩くことにしました。橋から下の道を覗くと結構な高さがあります。もちろん、写真を撮る余裕などはありません。

 やっとの思いで橋を通過すると、なんとその脇に、下から上がる階段があるではありませんか。

 その先の国道にはちゃんと歩道があり、ほっとした気持ちで歩いていると、右手には石畳の先、冠木門が立っています。これが中山道の旧道なのでしょうか。

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 やがて右から県道461号と合流します。

 さらに右手に木曽川に架かる元橋が見えるところで元橋交差点に着きます。

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 中山道は元橋交差点で反対側に渡り、左の中央本線の下をくぐる道に入ります。

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 線路の下をくぐり、道なりに右に曲がって坂道を上がっていきます。神戸(ごうど)地区に入ります。国道19号より少し高台にあります。

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 街道はやがて森の中に入り、すぐの右手には石垣の上に御嶽遥拝所があります。この遥拝所は寛永9年(1632年)の記録にも登場し、古くからあるようです。遥拝所は御嶽山の四方に置かれ、ここ神戸は南方、先日の鳥居峠は東方にあたります。

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 その先は中央本線と国道19号を下に見ながら歩きます。結構な高台です。

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 しばらくすると、町並みに向けて一気に下る坂になります。

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 遥拝所から歩くこと10分、線路より低いところまで下ったところで右折して線路の下をくぐります。すぐに国道19号に突き当たるので左折して国道を歩きますが、さらにすぐのところで、中山道は左手の坂を上がります。

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 次の二股は右の道に入ります。板敷野地区です。

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 大きな木に柿がいっぱい実っていました。

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 2本の木が立っているところで中央本線の脇に出ます。

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 その先、舗装道路は右へ下りますが、そのまま線路沿いの草道を進みます。

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 さらに下に下る舗装道に出ますが、その向こうにお堂が見えてきます。

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 このお堂は沓掛馬頭観音を祀ったものです。木曽義仲が人の言葉の分かる名馬の死を弔って、金の観音像を祀ったお堂を建てたという謂れがあります。以前は少し南側にあったのを明治43年(1910年)の鉄道工事の際に、この地の一里塚の上に移設しました。

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 舗装道まで戻り、国道19号に向けて坂道を下ります。

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 国道との合流地点に一里塚碑と説明板が立っています。先ほどの沓掛観音堂が現存している西塚で東塚は鉄道工事で取り壊されてしまいました。日本橋から数えて71里目の一里塚です。

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 その先、歩道のない国道を歩きます。

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 5分ほど歩くと右手木曽川に架かる赤い橋が見えてきます。

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中山道(19)木曽福島から須原 その2へ続きます。

 

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