2016年5月1日
十二兼
ヘアピンカーブで切り返し、さらに急坂を上っていきます。国道19号からかなり高いところまで上がってきました。十二兼地区に入ります。かつては立場がありました。
ここから、道は徐々に下っていきます。その先には常夜燈が立っています。天照皇大神宮と刻まれています。天保13年(1842年)に建立されました。
すぐのY字路は右に入り、国道に向けてさらに下っていきます。
常夜燈から5分ほど下っていくと、十二兼北信号のあるところで国道19号に出ます。中山道は国道と中央本線の線路に遮られています。
信号で国道は横断できますが、線路を越えることができません。このため、横断歩道の左脇にある地下道をくぐります。地下道といっても沢の水を通す水路に足場を組んで人が通れるようにしたものです。
線路の反対側に出てから、線路に沿って左方向に歩きます。
やがて十二兼の駅が見えてきます。
ここで一里塚碑を見に行くため寄り道をします。駅から跨線橋を渡り反対側の国道19号に出て、歩道を南の方へ少し歩きます。十二兼南信号機付近の道を隔てた反対側に十二兼の一里塚碑があります。日本橋から数えて78里目の一里塚です。
来た道を戻り再び駅の跨線橋を越えて階段を下り、中山道に戻ります。右手すぐ下には木曽川が流れています。
民家のまばらな道を歩いて10分弱で、右手には寝覚ノ床のミニバージョンのような風景が現れます。南寝覚(柿其峡)と呼ばれています。豆腐のサイズは小さいですが、しっかり方状節理が現れています。
その先T字路の右手に架かる柿其橋から見るとこんな感じです。
T字路の先は立場のあった中川原地区です。明治天皇御小休所碑と御膳水碑があります。庭園風にきれいに整備されています。
すぐの柿其入口交差点で国道19号と合流して、国道を歩きます。その先は鉄道、国道、木曽川が山あいを縫うように走っています。
このあたりも木曽路の難所のひとつでした。木曽の桟と同じように桟道が架けられ、羅天の桟と呼ばれていました。まさに藤村の夜明け前の冒頭の一節のとおりです。現代の国道にはゆったりとした歩道が作られていて、のんびりと歩けます。
羅天沢を越える羅天橋の表示があります。
国道をひたすら歩いて30分、左脇に上る道を入ります。
坂の途中で振り返ります。
坂道は左にカーブして中央本線のガードをくぐり、さらに急坂を上ります。
三留野宿
その先で三留野宿に入ります。坂を上り切った先で桝形を右に曲がります。
三留野宿は度重なる大火に見舞われ、明治14年(1881年)の大火以降に建てられた家々が残っています。
三留野宿に入って5分、右手には本陣跡があります。説明板と明治天皇行在所跡碑が立っていますが、空き地になっています。
本陣の先、右手の視界が広がります。中山道はガードレールの切れ目から階段を下ります。
下った先も町並みは続きます。すぐの左手には秋葉山の常夜燈が立っています。
本陣跡から歩いて5分のところで梨子沢に突き当たりますが、道に架かる橋の架け替え復旧工事が進められています。
その先左手の急坂を上ります。
すぐのT字路を右折します。標識はT字路の左右方向が中山道であることを示しています。よくわかりませんが、どこで間違ったのでしょうか。
その先はのどかな道を歩きます。途中モミジの赤い若葉が風にそよいでいます。
やがて大沢田川沿いの道に突き当たります。角のお宅では鯉のぼりが悠々と泳いでいます。
右折して大沢田川沿いの道を下り、さらに突き当りを左折して大沢田川橋で川を渡ります。
その先で中山道は左の道に入ります。右の道は南木曽駅方面へ繋がっています。
さらにY字路は左へ入ります。
道なりに上っていきます。