今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(20)須原から妻籠 その4

 

2016年5月1日

 

蛇抜橋

 

 大沢田川から7分で蛇抜橋に着きます。最近まで木の橋が架かっていたそうです。蛇抜とは土石流のことです。

 見た目、蛇抜沢は小さな沢にしか見えませんが、ひとたび大雨が降ると先ほどの梨子沢のように、土石流で大きな被害を引き起こしていたのでしょうね。

f:id:mame-lantern:20200126182557j:plain

 

 しばらく歩くと、南木曽駅裏手の貯木場を望むことができます。さらにその向こうには木曽川に架かる桃介橋も見えます。

 桃介橋は大正11年(1922年)に電力会社社長の福沢桃介が読書(よみかき)ダム建設の資材運搬のために架けた橋です。老朽化のため、現在の橋は復元されたものです。

 読書とは珍しい名前です。明治7年(1874年)に与川村、三留野村、柿其村が合併してそれぞれの頭の文字を取って読書村が誕生しました。さらに、昭和36年(1961年)に周辺の村が合併して今の南木曽町となりました。

f:id:mame-lantern:20200126182930j:plain

 

 南木曽駅を見下ろす高台を歩いていくと、和合地区に入ります。

f:id:mame-lantern:20200126213448j:plain

 

 左手民家の脇に枝垂れ梅の大木があります。和合の枝垂れ梅と呼ばれています。

 江戸時代木曽谷有数の酒造家であった遠山氏の敷地にありました。下部の目通り周囲は2m50cm、高さは6mあります。天然記念物に指定されています。

f:id:mame-lantern:20200126214450j:plain

 

 やがて、山の中に入っていきます。

f:id:mame-lantern:20200126214706j:plain

 

 竹林を回り込むと中央本線のトンネル入口の上に出ます。

f:id:mame-lantern:20200127212938j:plain

 

 その先のT字路を左折します。右手に進むと公園を経て南木曽駅に行くことができます。

さらに坂道を上ります。神戸坂と呼ばれています。

f:id:mame-lantern:20200127213526j:plain

 

 T字路から神戸坂を上ること5分で神戸地区に入ります。両側に美しい生垣がある道を歩きます。

f:id:mame-lantern:20200127221057j:plain

 

 左手には巴御前の袖振り松があります。木曽義仲が弓を引こうとした際、邪魔になった松を巴御前が袖を振って倒したという謂れがあります。倒れた松からまた芽が出てきたと言われています。

 説明板によると平成21年(2009年)に虫食いにより立ち枯れてしまい伐採されてしまいましたが、富山県の樹齢750年の巴塚の松から実を取り、成長した苗木が植えられています。何だか良い話です。

f:id:mame-lantern:20200128215141j:plain

 

 その先、道を右に下ります。

f:id:mame-lantern:20200508210454j:plain

 

 右手にはかぶと観音堂への入口があります。木曽義仲の兜の八幡座にあった観音様を祀っていると言われています。

f:id:mame-lantern:20200128220104j:plain

 

 変形五差路は楯木工所の右脇を入ります。

f:id:mame-lantern:20200128220312j:plain

 

 その先、Y字路を左へ入り、十字路を横断して、橋を渡り、道なりに進みます。要所要所に中山道の標識があるので迷うことはありません。

 家々の庭の緑が道まであふれています。

f:id:mame-lantern:20200128221007j:plain

 

 戦沢に架かる戦沢橋を渡ります。

f:id:mame-lantern:20200129212006j:plain

 

 その先は竹林の脇の石畳の坂を上ります。

f:id:mame-lantern:20200129212241j:plain

 

 石畳の坂を上り切ると民家の並ぶ集落に出ます。さらに、進むと両脇に一里塚が見えてきます。猫のお出迎えです。

 上久保(うわくぼ)の一里塚です。久々に両塚とも現存しています。日本橋から数えて80里目の一里塚です。

f:id:mame-lantern:20200129213736j:plain

 

 西塚です。振り返って見ています。

f:id:mame-lantern:20200129215055j:plain

 

 東塚です。

f:id:mame-lantern:20200129215145j:plain

 

 一里塚から下ると左手には良寛の歌碑が立っています。

 「この暮れの もの悲しきに若草の 妻呼び立てて 子牝鹿鳴くも」

 ここ木曽路を旅した時に詠んだ歌です。

f:id:mame-lantern:20200130190022j:plain

 

 T字路は直進します。このあたりにくぼはら茶屋がありました。T字路の左脇には道標が立っています。

f:id:mame-lantern:20200130191745j:plain

 

 その先、坂を上ります。道なりに左へカーブするとT字路に突き当たるので、右折します。右折したところに中山道の道標が立っています。つつじの花が見事に咲いています。

f:id:mame-lantern:20200130192209j:plain

 

 緩やかに下っていくと、左手には蛇石があります。説明板には、中世の中山道はこの沢沿いを上っていきましたが、元禄16年(1703年)に道の付け替え工事が行われ、妻籠城の総堀を通る現在の道になったと記されています。蛇の話は出てきません。

f:id:mame-lantern:20200130193021j:plain

 

 くぼはら茶屋跡から12分で道は二股に分かれます。中山道は右の砂利道に入ります。

f:id:mame-lantern:20200130193554j:plain

 

 右手に現代の茶屋の廃屋を見ながら歩くと、すぐに分かれた道と合流して、さらに道が三方に分かれます。中山道は真ん中の下りの道を進みます。

 右の道は妻籠城へ通じる道で道標や説明板が立っています。妻籠城はいつ誰によって造られたか不明ですが、室町時代中期の築城と言われています。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは妻籠城も戦場となり、木曽義昌の家臣山村良勝が徳川勢を退けました。その後、木曽義昌は徳川家の大名となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは上田城攻めで遅れた徳川秀忠が、ここ妻籠城で勝利を聞いたという話が残っています。しかしながら、元和2年(1616年)に廃城となりました。

f:id:mame-lantern:20200130194220j:plain

 

 林の中、現代の石畳の急坂を下っていきます。

f:id:mame-lantern:20200130195509j:plain

 

 その先で車道と合流します。右折して橋を渡ります。そして再び上り坂になります。

 T字路を直進した先の左手にある標識には、「これより妻籠宿の町並み」と記されています。いよいよ妻籠宿です。

f:id:mame-lantern:20200130200143j:plain

 

 その先カーブを曲がると急に観光客が増えてきます。

f:id:mame-lantern:20200130200731j:plain

 

 緩やかな坂を上っていくと、妻籠の町並みが見えてきます。

f:id:mame-lantern:20200130201823j:plain

 

 左手には大きな鯉岩があります。かつては鯉の形をしていましたが、明治24年(1891年)の美濃地震で頭の部分が落ちてしまったそうです。藤の木や草が絡まっていて全容がよく分かりません。

f:id:mame-lantern:20200130202613j:plain

 

 

妻籠宿

 

 すぐの左手は広場になっています。口留番所跡です。江戸時代の初期には中山道を行く人々を監視していましたが、早い時期に廃止されたと言われていました。しかし、最近発見された正保3年(1646年)の史料には、その存在が記されていました。

f:id:mame-lantern:20200130204255j:plain

 

 ここから桝形に沿って妻籠宿に入ります。

 今日はゴールデンウイークのど真ん中、妻籠宿にはかなりの人が押し寄せていて、写真を撮ることもままなりません。本日の街道歩きはここまでとして妻籠宿をしばし散策して帰ります。次回は静かに散策ができれば良いのですが。無理でしょうか。

 ところが、帰る段になって、妻籠宿から出るバスに乗り遅れてしまい、1時間以上時間があったので、歩いて南木曽駅まで戻ることにしました。

 南木曽駅まではおよそ40分。15:10に到着しました。7時間ちょうどの行程でした。1時間近く待ってワイドビューしなのに乗って塩尻駅まで行き、車で帰路に着きました。妻籠で次のバスに乗っても十分間に合いました。

f:id:mame-lantern:20200130210155j:plain

 

 

kaido-aruki.hatenablog.jp

 

 

中山道(20)須原から妻籠 その3へ戻ります。

 

中山道 歩いた行程表はこちら