今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(21)妻籠から中津川 その1

 

2016年5月21日

 

妻籠宿

 

 今日は初めて東海道新幹線を使いました。朝、東京駅6時過ぎののぞみに乗り込み名古屋経由で南木曽駅へ向かいました。中津川からの普通列車が20分ほど遅れましたが、南木曽駅10:40発のバスにぎりぎり間に合い、10:50頃妻籠に到着しました。天気は快晴、多少暑いのですが風が心地よいです。10:55から歩き始めました。バス停の前方から宿場に入ります。

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 まずは、前回の続き、鯉岩まで戻り街道歩きをスタートします。口留番所が脇にある地蔵沢橋を渡ります。このあたりは江戸側の桝形となっています。

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 右手には高札場が復元されています。ここは妻籠宿の写真スポットです。振り返って、水車小屋と高札場を眺めます。

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 その先から妻籠宿の町並みが続きます。前回はゴールデンウイークの最中だったので観光客でごった返していましたが、今日はそれほどではなく、静かな妻籠宿巡りができそうです。

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 高札場から5分で右手には奥谷家脇本陣跡があります。代々脇本陣問屋場を務めていました。現在の建物は明治10年(1877年)のもので、それまで禁制だったヒノキをふんだんに使った屋敷です。資料館を併設しています。

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 その先左手には、島崎家本陣跡があります。宿駅が制定されてから明治に至るまで島崎家が本陣・名主を務めてきました。島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で馬籠から叔父の養子となった広助でした。

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 町並みは、まだまだ、続きます。

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 左手には何故か洋風の妻籠宿観光案内所があります。観光案内所の建物は明治30年(1897年)に旧吾妻村警察署として建てられました。

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 観光案内所の先で京側の桝形に沿って右の道に入ります。

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 一旦坂を下ってその先で階段を上がると、ここも妻籠宿の写真スポットです。この辺りは寺下と呼ばれています。妻籠宿は、昭和43年(1968年)、ここ寺下から古い町並みを保存していこうという活動が始まりました。

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 左手には上嵯峨屋があります。この建物は18世紀中期の建築と推定されていて、当時の木賃宿の形式を良く留めています。妻籠宿で最も古い建物のひとつとされています。

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 妻籠発電所の脇を通り、観光案内所から歩いて15分弱で、国道256号を横断します。第3駐車場の脇の砂利道に入ります。角には中山道の道標が立っています。馬籠宿まで6.9kmです。

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 ここからは木々の中を通り、田植え前の田んぼの脇を歩きます。

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 その先、車道に出るので右へ入ります。すぐの蘭(あららぎ)川を渡る大妻橋の手前には石柱道標の説明板が立っています。かつてここ橋場が中山道飯田街道の追分でした。しかしながら、道標がどこにあるのか見当たりませんでした。

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 蘭川も白い大きな花崗岩の石が転がっています。水は澄んでいます。

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 中山道は蘭川を越えたすぐの右手民家の脇へ入ります。馬籠宿方面への標識に従います。

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 しばらく林の中の坂道を上っていきます。白い藤の花が見事ですね。

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 やがて坂道は石畳の道に変わり、神明地区の民家の間を通ります。

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 その先で坂道を下ると先ほど分かれた車道と合流します。

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 車道と合流して男垂(おたる)川に架かる神明橋を渡ると上り坂に変わります。左手には旧旅籠の金剛屋があり、坂の先には大妻籠の大きな看板が見えてきます。

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 坂を上り切ると大妻籠の看板の前に出ます。ここを右折して橋を渡り、再び坂を上ります。大妻籠地区に入ります。

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 街道の傍らには屋根に石を乗せた水車小屋があります。木曽路では石を乗せた屋根を見かけます。風雪をしのぐためにあります。

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 坂の上、右手には大妻籠の旧旅籠の建物が3軒並んでいます。江戸側から近江屋、まるや、つたむらやで、うだつのある出梁造りの立派な建屋です。現在は民宿を営んでいます。つたむらやから下に向かって3軒を眺めてみました。

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 大妻籠の旅籠群から歩いて5分で、県道7号に突き当たります。左角には庚申塚があり、石碑が立っています。

 また、この近辺には一里塚がありました。石碑があるようですがよく分かりません。大妻籠の一里塚で、日本橋から数えて81里目の一里塚です。

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 庚申塚の向かいには民宿こうしんづかがあります。2階の軒先には駕籠が吊り下がっています。

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 県道を右に入って少し歩いたところで、横断歩道を渡り左の石畳の道に入ります。

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 林の中の石畳の道を上っていきます。木曽路ですね。

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 水の張った棚田の脇を通ります。

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 その先で、橋を渡ると舗装道路に出ます。直進方向の坂を上っていきます。

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中山道(21)妻籠から中津川 その2へ続きます。

 

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