今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(21)妻籠から中津川 その3

 

2016年5月21日

 

梨子の木坂

 

 県道7号に入りすぐのところで右手の石畳の道を下ります。梨子の木坂と呼ばれています。馬籠まであと1kmです。

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 再び県道に出ます。右手の川の向こうには水車小屋が見えます。休憩スペースもあります。

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 県道を横断した傍らには中山道の石碑が立っています。

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 その先は土道歩きとなります。

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 やがて、土道は舗装道路と合流するので、ここを右折します。左手に見える田んぼは妻籠付近と違い、すでに田植えが終わっていました。

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 道はすぐに県道7号と合流して、県道を左に入ります。

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 さらに、その先の右手には階段が見えてくるのでここを上ります。馬籠宿まであと300m、もう少しです。

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 陣馬坂と呼ばれる坂を上っていきます。

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 最後の階段を上がると、その先は別天地のような明るい光景が広がります。高台の正面に遥か恵那山を望むことができます。

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 石畳の道を道なりに右の方に歩いていくと見晴らしの良い広場に着きます。馬籠上陣馬跡です。馬籠上陣馬は天正14年(1584年)、小牧・長久手の戦いで馬籠城攻撃のために徳川家康軍が陣を敷いた場所です。

 ここには島崎藤村の父である島崎正樹の歌碑などが立てられています。

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馬籠宿

 

 広場の先、東屋の脇から石畳を下っていきます。急に観光客が増えてきました。

 県道7号を横断します。その手前には高札場が復元されています。妻籠宿を出ておおよそ2時間、馬籠宿に到着しました。

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 馬籠宿の町並みは坂道に沿って続きます。

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 宿場の入口から5分、右手には蜂谷家脇本陣跡があります。明治28年(1895年)の大火で焼失してしまいました。現在は資料館となっていて、当時の上段の間を復元し、消失を免れた什器や衣服を展示しています。入口脇には、木曽五木の若木が並べて植えられています。

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 脇本陣の先には、島崎家本陣跡があります。島崎藤村の生家であり、現在は藤村記念館となっています。

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 石畳の下り坂が続きます。観光客も増えてきました。

 よくよく考えると馬籠峠からずっと坂を下っています。

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 馬籠は妻籠に比べると観光地化されているように見えます。

 馬籠の野沢菜おやき、とても美味しかったです。

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 その先で京側の桝形になります。右手の坂を降りて垂直に左へ曲がります。

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 その先で桝形に沿って今度は右に曲がります。

 下の写真は右に曲がった後で振り返って見たものですが、正面の説明板に書かれているように城郭の桝形を模して造られたのがよく分かります。石垣は後世のものだと思いますが、城の入口のようです。

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 すぐに県道7号に突き当たります。ここは馬籠のバス停があり、土産物屋などが並び、かなりの観光客で溢れています。

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 県道を横断してさらに坂を下ります。横断したとたん人がいなくなりました。

 中山道は黄色と白の小石が埋め込まれた道に変わります。

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 左手には恵那山がすぐ近くに見えます。田んぼにその姿を写しています。

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 その先で上り坂になります。丸山の坂の標石があります。この辺りは丸山と呼ばれ、室町時代から馬籠城があったと言われています。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いでは豊臣秀吉側についていた木曽義昌下の島崎重通(藤村の祖先)が馬籠城を固めていました。しかし、徳川側の大軍が馬籠城に攻めてくることを知り、山村氏の守る妻籠城に逃げて、徳川軍と抗戦しました。馬籠城はそのまま放置され戦火を免れました。関ケ原の戦い以降、尾張徳川家の領地になりましたが、特に手を加えられることなく廃城になりました。

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 美濃路です。木曽路とは雰囲気が全く違います。

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 右手に東屋が立っている小公園が現れます。正岡子規の句碑が立っています。

 「桑の実の木曽路出づれば穂麦かな」

 木曽路とは違う光景を描いた句なのでしょうか。

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 また、ここは信州サンセットポイント百選に選ばれている場所です。もちろん岐阜県編入する前の話ですが、標柱が立っています。後ほどどのようなところが選ばれているのか調べてみると、中山道沿いでは、碓氷峠の見晴台、茂田井宿、塩尻峠塩嶺御野点展望台などがあります。

 ここからの眺めもなかなかです。遠く落合の町でしょうか、また、流れの見える川は木曽川でしょうか、遥か美濃平野まで眺望できます。今の時刻は14時過ぎ、夕暮れ時まで居られればいいのですが、そうもいきませんので、しばし、ボーッと景色を眺めてから出発しました。

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 田植えの済んだ田んぼの傍らをさらに下って行きます。

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 馬籠のバス停から歩くこと30分強で新茶屋地区に入ります。ここにはわらび餅が名物の立場茶屋がありました。

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