今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(21)妻籠から中津川 その5

 

2016年5月21日

 

与坂

 

 与坂を上り切ったところに立場跡があります。かつては越前屋という茶屋があり黒砂糖を煮詰めて塗った米粉の餅を振る舞っていました。

 また、この地には白木を取り締まる与坂御番所が置かれていましたが、後に中津川上金に移されました。白木とはひのき等木曽五木の皮を削った木地のままの木材のことを言います。

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 立場跡からは道を下っていきます。

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 西側が開けた高台に出ます。さらに下っていきます。

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 道を下り始めて5分ほど、三五橋を越えた先の左手には子野の一里塚跡碑が立っています。石碑は盛り土のようにも見えるところに立っています。日本橋から数えて84里目の一里塚です。

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 その先、尾根道の峠のような十字路を横断します。

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 十字路の角には石垣で囲まれた覚明神社があります。御嶽山を開いた行者の覚明に纏わる神社です。

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 さらに下って行きます。

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 水の張った田んぼをバックに鯉のぼりが泳いでいます。

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 子野橋を渡るとその先で、道を覆う枝垂れ桜の大木が見えてきます。地蔵堂跡で一段高くなったところに庚申塔が立っています。

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 地蔵沢橋を渡った先で、鋭角に右折して坂道を上がります。ここもカラー中山道に沿って歩きます。

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 坂道を上った先で中津川バイパスに突き当たりますが、その先は直進できません。再び、地下道をくぐります。その名は「中山道地下道」でしょうか。

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 地下道をくぐると中山道の石碑と上金村の説明板があります。

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 国道によって途切れた先の道が続く場所で、カラー中山道に沿って右に曲がります。

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 上金地区です。江戸時代は中津川村の支村でした。民家が増えてきました。

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 国道の下をくぐって5分ほどで、右手には尾州白木改番所跡の石碑が立っています。天明2年(1782年)に設置され、明治に入るまで続きました。先ほどの、与坂の番所が移されたものだと思います。尾張藩は木曽五木の領外への搬出を厳しく取り締まり、出荷統制を行っていました。

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 その先、旭ヶ丘公園の脇を右に曲がり、坂を下ります。茶屋坂と呼ばれています。

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 坂の途中でガードレールが途切れたところに、芭蕉句碑が立っています。

 「山路来て 何や羅遊かし 寿み連草」

 芭蕉が京から大津へ行く山道で詠んだ句で、その景色がここから見える宿場の町並みと良く似ていたので、安永2年(1772年)に句碑が建てられました。

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 句碑の前から石畳の道を、ヘアピンを描いて下ります。すぐに、同様に大きくヘアピンを描いて下ってくる車道に出ます。

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 さらに、車道に沿って下ります。

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 歩道橋の上に立つと、中津川の街並みが一望できます。

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 車道を折り返して下ると、坂の途中で下に降りる階段があります。中山道の標識に沿って階段を下ります。

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 右手には、この先の中山道が真っ直ぐ続いているのが見えます。

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 さらに、崖の縁を下っていきます。旭ヶ丘公園から続く急峻な崖は、この先の中津川やその支流の河川が造る段丘崖です。

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中津川宿

 

 崖を下まで降りると、高札場が復元されています。隣には常夜燈、二十三夜塔、庚申塔が立っています。

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 その先3分で駅前通りとの交差点である新町交差点に到着します。本日の街道歩きはここまでとして、右折して中津川駅に向かいます。

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 そして、中津川駅に到着しました。時刻は15:55分です。ちょうど5時間の行程でした。今日は結構歩きました。

 駅で1時間近く待って、ワイドビューしなの塩尻まで向かい、塩尻からスーパーあずさに乗って帰路につきました。

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