今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(22)中津川から大井 その1

 

2016年10月21日

 

中津川宿

 

 今年は台風が多く9月に入っても街道歩きができませんでした。今回は1泊2日で中津川宿から大湫宿まで歩くことにします。中央本線回りで11時過ぎに中津川駅に到着しました。天気は晴で気温は20℃くらいです。長袖のシャツに上着の恰好ですが、少し暑いです。

f:id:mame-lantern:20200229203239j:plain

 

 11:20に歩き始めます。駅前のロータリーにはお馴染みの木曽五木が並べて植えられています。

f:id:mame-lantern:20161021112141j:plain

 

 駅前通りを歩き、本日のスタート地点である新町交差点を右折して中山道に入ります。5か月ぶりにこの地に立ちました。

f:id:mame-lantern:20161021112602j:plain

 

 中山道に入ると旧街道跡のせいか道幅が狭く、一方通行の通りとなっています。そして、お馴染みの黄色と白い石を埋め込んだ道になります。

 新町交差点を右折するとすぐの左手に栗きんとんの名店「すや」の店舗があります。創業は元禄年間(1688~1704年)ではじめは酢を商っていましたが、7代目から菓子作りを始めたそうです。

f:id:mame-lantern:20200516151229j:plain

 

 四ツ目川橋で四ツ目川を渡ります。歩道には常夜燈のモニュメントが立っています。親柱も凝っています。

f:id:mame-lantern:20161021113238j:plain

 

 四ツ目川です。橋を渡った左手民家の壁に四ツ目川の水害についての説明板が架けてあります。一説には、過去の大洪水で4度流れが変わったために四ツ目川と名前が付けられたそうです。中津川宿では四ツ目川や中津川による洪水が多かったのですが、本陣は中津川の作る河岸段丘の上にありほとんど水害には会いませんでした。

f:id:mame-lantern:20161021113251j:plain

 

 すぐの左手の旧NTTビルあたりが脇本陣跡です。一角には中津川宿脇本陣跡の石碑が立っています。また、このビルには中山道歴史資料館が入っています。

f:id:mame-lantern:20161021113538j:plain

 

 旧NTTの建屋の先を左に入ったところに、中津川宿の説明板と明治天皇中津川行在所碑があります。

f:id:mame-lantern:20161021113710j:plain

 

 脇本陣跡のはす向かいには旧本陣がありました。こちらも遺構は残っておらず石碑と説明板があるのみです。

f:id:mame-lantern:20200229205156j:plain

 

 旧本陣跡の向かいには旧中津川村庄屋宅跡が建っています。中津川村は肥田家が庄屋を務めていました。うだつのあるこの建屋は、築年は不明ですが、構造体は江戸中期のものと言われています。江戸後期から明治にかけては旅籠を営んでいて、明治26年1893年)には恵那山を登った登山家のウェストンが宿泊しました。

f:id:mame-lantern:20200229205726j:plain

 

 街道はその先で桝形に沿って直角に左へ曲がります。

f:id:mame-lantern:20161021114058j:plain

 

 横町に入ります。右手には栗きんとんのもう一つの名店である川上屋、その先には十八屋(間家)があります。十八屋は旅籠を営み、元治元年(1864年)には和田峠の戦いで負傷した水戸天狗党のメンバーを匿ったことで有名です。江戸中期の建物と言われています。

f:id:mame-lantern:20161021114309j:plain

 

 さらに桝形を右折して下町に入ります。曲がった左手には地酒恵那山のはざま酒造があります。江戸中期の創業とのことです。

 下町は風情のある町並みです。

f:id:mame-lantern:20161021114403j:plain

 

 桝形を曲がると右手に入る旧道がありますが、すぐに道は通行止めになり、先に進めません。 このあたりに京側の入口がありました。かつての中山道はこの急坂を下って中津川に出ました。

 その先、鉄道の引込線跡を利用したミニ中山道公園があり、その上を通ります。下には降りませんでしたが、中山道69次の宿場町名を刻んだ石が置かれています。

f:id:mame-lantern:20161021114703j:plain

 

 そして、中津川を渡ります。歌川広重の絵ではここから少し下流あたりで描かれたものと言われています。下流方面を眺めてみました。

f:id:mame-lantern:20161021114904j:plain

 

 橋を渡ると柳町に入ります。静かな通りになります。

f:id:mame-lantern:20161021115148j:plain

 

 中津川を渡って5分ほどで道は二手に分かれます。分岐には島津神社参道の石碑が立っています。

 左手の坂道を上ります。ここも中津川の作った段丘崖のようです。

f:id:mame-lantern:20161021115350j:plain

 

 坂道の途中、中津川の町並みを一望できます。かたわらにはセイタカアワダチソウが咲いていました。秋です。

f:id:mame-lantern:20161021115543j:plain

 

 その先で比較的車の往来のある市道を横切り、郵便ポストの前を道なりに進むと、正面に蔵の見えるT字路に着きます。二股から上り始めて5分ほどのところです。中山道はここを右折します。中山道の標識があります。

f:id:mame-lantern:20161021115851j:plain

 

 駒場(こまんば)地区に入ります。

f:id:mame-lantern:20161021120008j:plain

 

 すぐの左手には駒場村の高札場跡碑が立っています。民家の壁に高札が掲げられています。

f:id:mame-lantern:20161021120035j:plain

 

 さらに5分ほど歩くと、車道は右へ大きくカーブします。中山道は正面の階段を上がります。「こでの木坂」と呼ばれていて、かつては坂の上にこでの木が生えていました。ところで「こでの木」とはどんな木なのでしょうか。

 また、ここ駒場には中山道以前の東山道が通っていて、坂本駅があったとされていますが、場所は特定されていません。

f:id:mame-lantern:20161021120423j:plain

 

 階段脇には中山道小手の木坂の石碑があります。

f:id:mame-lantern:20161021120526j:plain

 

 田園風景の向こうに恵那山が見えます。

f:id:mame-lantern:20161021120542j:plain

 

 階段を上ると、先ほど分かれた車道が大きく迂回してきたところに出ます。さらに先の階段を上ります。

f:id:mame-lantern:20161021120607j:plain

 

 さらに階段を上ると、もう一度S字を描いて迂回してきた車道に出ます。右手方向にガードレール沿いを進みます。

 すぐのT字路の脇に苗木道の説明板があります。T字路を右に入るのは苗木道で、かつては飛騨に通じていましたが、現在はその道を辿ることはできません。

f:id:mame-lantern:20161021120802j:plain

 

 

中山道(22)中津川から大井 その2へ続きます。

 

中山道 歩いた行程表はこちら