今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(22)中津川から大井 その3

 

2016年10月21日 

 

是より大井

 

 茄子川茶屋本陣から15分ほど歩くと恵那市に入ります。街道の傍らには「中山道 是より大井」と刻まれた大きな石碑が立っています。

f:id:mame-lantern:20161021134415j:plain

 

 中山道碑から先は広久手坂と呼ばれる上り坂を上っていきます。

f:id:mame-lantern:20161021134704j:plain

 

 その先で下り坂に変わり、大井町地区に入ります。

f:id:mame-lantern:20161021135021j:plain

 

 信号のある岡瀬沢交差点を渡ると左手には岡瀬沢の石碑と永代燈が立っています。この地は野道との分岐点にあり、野道は秋葉山への参詣道でもありました。また、近隣から中山道へ物資を運ぶ「うしみち」とも呼ばれ、岡瀬沢にはうし関係の人が休む「うしやど」がありました。

f:id:mame-lantern:20200229234758j:plain

 

 濁川を渡り、岡瀬沢地区を歩きます。

f:id:mame-lantern:20161021140019j:plain

 

 岡瀬沢交差点から15分で甚平坂に差し掛かります。街道は右手の公園に入り正面の階段を上がります。

f:id:mame-lantern:20161021140627j:plain

 

 階段を上がると見晴らしの良い場所に出ます。休憩所やトイレがあります。歌川広重の雪の大井はこの場所から描かれたと言われています。広重の絵には御嶽山が描かれていますが。今日は御嶽山を望むことができませんでした。しかしながら、眺めの良い場所です。

f:id:mame-lantern:20161021140820j:plain

 

 先ほど分かれた県道が迂回してこの公園の前を通っています。ここからは再び県道歩きに戻ります。少しだけ坂道を上って、その先は下って行きます。

 坂道を下って5分ほどで、左手には関戸の一里塚碑が立っています。塚は大正の頃に取り壊されました。日本橋から数えて87里目の一里塚です。

f:id:mame-lantern:20161021141730j:plain

 

 さらに坂道を下っていくと、T字路に突き当たるので左折します。その先も坂道を下ります。蓮華寺坂と記された石碑が立っています。右手下の方には恵那の町並みが見えます。

f:id:mame-lantern:20161021142137j:plain

 

 中央自動車道を越えると右手には菅原神社があります。

 菅原神社の前で県道は左へ大きくカーブします。

f:id:mame-lantern:20200301164212j:plain

 

 ここから県道とは別れ、直進方向の階段を下りて行きます。恵那の町が一望でき、大井宿へ真っ直ぐ進みます。階段の先は長坂と呼ばれる坂道です。

f:id:mame-lantern:20161021142528j:plain

 

 その先、用水路を横切ります。山本用水と呼ばれています。この辺りは水不足で困っていたので、安永元年(1772年)にここから南にある山本の阿木川から水を引いてきました。総延長は5.4kmもあったそうです。今も勢いよく水が流れています。

f:id:mame-lantern:20200301164816j:plain

 

 明智鉄道のガードをくぐります。とても低く屈みながら通りました。

f:id:mame-lantern:20161021142821j:plain

 

 さらに坂道を下ります。

f:id:mame-lantern:20161021143001j:plain

 

 

大井宿

 

 その先、右手には高札場が復元されていて、傍らには高札場の説明板 があります。このあたりが大井宿の江戸側の入口でした。

 高札場の前の坂道は五妙坂と呼ばれています。

f:id:mame-lantern:20161021143046j:plain

 

 横町川を渡ります。

f:id:mame-lantern:20161021143145j:plain

 

 橋を渡った先、すぐを左へ曲がります。第1の桝形です。ここから6回、桝形を曲がります。

f:id:mame-lantern:20161021143219j:plain

 

 第1の桝形を曲がると、横町に入ります。すぐにT字路に突き当たるので右折します。第2の桝形です。

f:id:mame-lantern:20161021143333j:plain

 

 第2の桝形を右折する手前には林家本陣跡があります。主屋は昭和22年(1947年)に火災で焼失しましたが、安土桃山様式の表門は焼け残り、現在に至っています。表門脇には樹齢300年の松の木がありましたが、平成20年(2008年)に枯れてしまい伐採され、2代目の松が植えられています。

f:id:mame-lantern:20161021143424j:plain

 

 第2の桝形を右折すると本町に入ります。

 その先左手には、大井村庄屋古山家があります。古山家は屋号を菱屋と言い、酒造と商売を営んでいました。享保年間から幕末まで150年間は庄屋を務めました。今の建屋は明治になって上宿から移築したものです。

f:id:mame-lantern:20161021143534j:plain

 

 本町は趣のある建屋を多く見ることができます。

f:id:mame-lantern:20161021143615j:plain

 

 右手には、宿役人の林家宅があります(下の写真奥の家)。林家は文化2年(1805年)に本陣家より分家して以来、明治に至るまでの60余年間、代々大井宿役人の問屋役を務めました。

 その先右手には、明治天皇行在所碑が立っています。岩井家(当時は伊藤家)では、明治13年1880年)に明治天皇が宿泊された部屋が現在も残っています。

f:id:mame-lantern:20161021143858j:plain

 

 さらにその先で、第3の桝形を右折します。角には旧旅籠の角屋がありました。現在も旅館を営んでいます。

f:id:mame-lantern:20161021144015j:plain

 

 第3の桝形を右折すると堅町に入ります。左手には大井村庄屋古屋家があります。説明板によると、古屋家は江戸時代には商業を営み、天保元年(1830年)から20年ほど庄屋を務めました。母屋や塀は柱・梁・たる木も土壁を塗り、北側屋根に卯建をつけ、そのうえ北側の土塀は厚さ約30センチの防火壁として、全体が火災予防の建築になっています。

f:id:mame-lantern:20161021144215j:plain

 

 その先、市神神社の前で第4の桝形を左折します。市神神社は1月7日に行われる例大祭、七日市が有名です。

f:id:mame-lantern:20161021144250j:plain

 

 第4の桝形を曲がると茶屋町に入ります。

 右手マンションの脇に白木番所跡の説明板があります。右手に入る道は番所みちと呼ばれ、奥に尾張藩白木改番所がありました。

f:id:mame-lantern:20200301204408j:plain

 

 突き当り、ポストの脇で第5の桝形を左折し、橋場に入ります。

f:id:mame-lantern:20161021144522j:plain

 

 そして、第6の桝形を右折します。すぐに阿木川を渡る大井橋があります。

f:id:mame-lantern:20161021144635j:plain

 

 大井橋左側の欄干には歌川広重の「木曽街道六十九次」の絵が飾られています。

f:id:mame-lantern:20161021144743j:plain

 

 大井橋を渡るとすぐに中央通一丁目交差点に出ます。本日の街道歩きはここまでとして、右折して恵那駅へ向かいます。明日、またこの場所に来ます。

f:id:mame-lantern:20161021145108j:plain

 

 すぐに恵那駅に到着しました。時刻は14:55です。本日は3時間35分の行程でした。

 恵那駅から電車に乗り、土岐市駅まで移動してちょうど空いていたビジネスホテルに宿泊しました。

f:id:mame-lantern:20161021145339j:plain

 

 

kaido-aruki.hatenablog.jp

 

 

中山道(22)中津川から大井 その2へ戻ります。

 

中山道 歩いた行程表はこちら