今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(23)大井から大湫 その4

 

2016年10月22日

 

権現山の一里塚

 

 石畳の坂道を上っていくと、街道の両脇には権現山の一里塚があります。両塚とも現存しています。北塚の前には一里塚の説明板と樫の木坂の石碑が立っています。

 日本橋から数えて90里目の一里塚です。

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 そして南塚です。

 今日通ってきた槇ヶ根、紅坂、権現山の一里塚は3か所連続して両塚が現存していました。凄いことです。

 この道は、明治以降、鉄道や国道から遠く外れてしまったおかげで一里塚が残っているわけですが、江戸時代は中山道をあえて通行に不便なこの道へ通したのは、幕府の政策だと思います。

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 さらに坂道を上ります。ここは巡礼水の坂と呼ばれています。

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 その先、舗装の道を横切ります。

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 中山道を歩いていると両脇の木立で分からなかったのですが、街道はゴルフ場の中を通っています。横断した舗装道はゴルフ場のカート道でした。

 ちなみに、このゴルフ場は中山道ゴルフ倶楽部と言います。

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 林の中、さらに急坂を上ります。

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 右手には、巡礼水の石碑と説明板があります。

 その昔、旅の母娘の巡礼がこの地で病気にかかりましたが、念仏によって目の前の岩から水が吹き出し、命が助かったと伝えられています。お助け泉・巡礼水と呼ばれ中山道を旅する人々の喉を潤していました。

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 再びカート道を横切ります。こちらは数メートルほど中山道に相乗りしています。

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 その先、もう一度カート道を横断すると下り坂に変わります。びあいと坂です。右手にはゴルフボール防止のネットが張られています。

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 巡礼水から10分、右手に広場があり、阿波屋の茶屋跡碑や十三峠の三十三所観音石窟があります。ここには、旅人の道中の安全を祈り、三十三体の馬頭観音が石窟の中に収められています。これまで、石窟の中に安置されているのはあまり見かけませんでしたが、ここでは大事に祀られています。

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 地蔵坂を下ります。

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 その先、左手には尻冷やし地蔵尊があります。ここにある地蔵の後ろから清水が流れ出ていて、地蔵の尻を冷やしているように見えるので、「十三峠尻冷のお地蔵様」と呼ばれるようになりました。ここも十三峠を歩く旅人の貴重な水場でした。尻冷やしとはとてもユニークなネーミングです。

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 すぐに車道に出ます。中山道は車道の向かいにある入口から入り、坂道を上ります。

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 上り坂の途中にしゃれこ坂(八丁坂)の石碑が立っています。その後ろには南無観世音菩薩の碑もあります。

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 山之神坂碑の脇を上っていきます。

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 すぐに、針葉樹の林の中の下り坂に変わります。草道の脇には童子ヶ根坂の碑が立っています。

 さらに下っていくと、先の木々が少なくなり明るくなってきました。

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大湫宿

 

 寺坂と呼ばれる坂を下っていくと視界が開けて、大湫宿の街並みが見えてきます。

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 左手、宗昌寺へ入る角に「是より東 十三峠」と記された大湫宿碑が立っています。

 ここで十三峠の難所は終わります。様々な名前のついた坂道を上り下りしてきました。そして、多くの茶屋跡がありました。東の入口から3時間20分かかりました。

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 宗昌寺の駐車場から大湫宿の町並みを望みます。大湫宿も明治以降に設置された交通手段から取り残され、ひっそりと山あいに佇んでいます。

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 コスモスです。

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 宗昌寺からさらに下り、郵便局の角を左へ曲がります。かつての江戸側の桝形の跡です。

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 桝形を曲がると、旧家が並ぶ静かな町並みとなります。

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 公民館の先、旧大湫小学校へ上がる道の脇に、本陣跡の説明板があります。本陣は旧大湫小学校の敷地にあり、和宮も宿泊されました。

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 右手、少し入ったところには問屋場跡の説明板があります。脇には、火の用心と書かれた木桶があります。昔から火災には気を配っていたのでしょう。

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 さらに右手には脇本陣跡があります。保々家が勤めていましたが、現在も住居として使われているそうです。ここの建物は国指定の重要文化財となっています。

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 さらに右手には神明神社があります。ここで有名なのはご神木の大杉で、樹齢はなんと1300年、幹回り11m、高さ60mと言われ、天然記念物に指定されています。

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 東の桝形から歩いて12分、京側の入口である高札場跡に着きます。大湫宿碑や説明板もあります。

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 高札場の前、釜戸駅へ下るT字路で、本日の街道歩きは終了とします。時刻は12:45。4時間15分の行程でした。ここを左折すると釜戸駅までは5km弱の下り道なのですが、迷わず、ここからタクシーを呼んで釜戸駅に向かいました。

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 およそ10分で釜戸駅に着きました。13:18釜戸駅発の電車にぎりぎり間に合い、塩尻経由で帰路に付きました。

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