今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(24)大湫から伏見 その4

 

2017年4月28日

 

御嶽宿

 

 中山道の道標に従って国道21号から左へ入り、しばらく歩きます。その先、弘法堂の角を右へ曲がります。上町の桝形と呼ばれ、ここから御嶽宿に入ります。

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 御嶽宿に入ると、初めのうちは古いお宅は見られませんでしたが、郵便局を過ぎたあたりから旧家が見られるようになりました。

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 宿場内にある天保13年(1842年)頃の家並み図では、右手旧家が並んでいるあたりは旧脇本陣と記されています。

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 商家を営んでいた野呂家住宅です。本陣を務めていた野呂家の分家で屋号は竹屋としていました。建物は明治10年(1877年)に建てられたものです。現在は資料館となっています。

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 本陣跡とその隣は現在中山道みたけ館となっている脇本陣跡です。みたけ館は御嶽宿文化財や資料を保管している資料館ですが、今日は休館日でした。

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 唐沢川を渡ります。

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 唐沢川を渡ると右手には願興寺があります。蟹薬師と呼ばれ、創建は弘仁6年(815年)と古く、もともと御嶽宿は願興寺の門前町として栄えました。立派な門構えです。

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 中山道は突き当たりますが、正面は名鉄広見線御嵩駅です。駅舎に入ると中は観光案内所も兼ねています。

 駅前を右折します。西の桝形跡です。東の桝形から写真を撮りながら13分の歩きでした。

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 その先、原写真館前の交差点を左折します。

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 中地区に入ります。静かな町並みです。

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 さらに、公民館の角を右折します。

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 右折した右手には、秋葉山常夜燈が立っています。

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 すぐに国道21号に出ます。中交差点の横断歩道を渡って国道を西へ向かって歩きます。

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 その先の右手には鬼の首塚があります。かつて乱暴狼藉を働いていた関の太郎という鬼がいました。地頭の纐纈(こうけつ)源吾盛康が見事この鬼を捕らえ、首を刎ねました。桶に入れてその首を運んでいたところ、急に動かなくなりこの地に埋めたという謂れがあります。

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 中交差点から国道を歩いて10分、大庭交差点の先で、右の旧道に入ります。

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 脇には用水路が流れています。ここも静かな通りです。

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 すぐに国道に出ます。国道を横断すると左手には可児川が流れています。近くに堰があるのでしょうか、流れはほとんどなく、川幅いっぱいに水が溜まっています。正面は名鉄の鉄橋です。

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 国道と合流してから10分弱、左手道路脇にある中華料理横浜飯店を見た先、右手から合流するT字路があります。中山道は車止めのある斜め右の道に入ります。

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 T字路の角には、比衣一里塚跡の標柱が建っています。日本橋から数えて96里目の一里塚です。

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 ここも静かな通りです。すぐに、東海環状道路の下をくぐります。

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 その先、比衣川に架かる土橋を渡り、さらに、突き当りを左折すると再び国道21号に出ます。角には中山道の道標があります。

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 再び国道を歩くと、高倉口交差点を通ります。左へ曲がると花フェスタ記念公園という標識があります。そういえば、昔、花博なるものがあったことを思い出しました。ここだったのかと思いつつ、さらに国道を歩きます。

 その先の国道は緩やかな上りとなりますが、手前の交番の脇から右折して旧道に入ります。

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 田んぼの中を歩きます。

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 僅か3分で国道21号に出ます。

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伏見宿

 

 国道と合流してすぐのところ、左手公民館前に本陣跡碑と「是よ里東尾州領」と記された石碑が立っています。

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 その先、名鉄明智駅入口の十字路で本日の街道歩きを終了します。左折して明智駅を目指します。

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 国道から左折すると坂を下り平貝戸橋で可児川を渡ります。川を渡ると可児市に入ります。

 すぐに、明智駅に到着しました。時刻は15:20。本日は5時間40分の行程でした。

 駅の周りには「乗って残そう名鉄広見線」という幟が立っています。この路線も乗降客を獲得しようと努力しているようです。

 帰りは明智駅から広見線に乗り、新可児駅からJR可児駅に乗り換えて、美濃太田駅まで行き、あらかじめ予約しておいた駅前のルートインに泊まりました。

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