気楽に街道歩き

気楽にゆっくり街道を歩いています。

中山道(25)伏見から各務原 その2

 

2017年4月29日

 

太田宿

 

 突き当りを左折してすぐの左手には、新町木戸門跡の標柱が立っています。太田宿の江戸側の入口がありました。

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 その先の増井写真店が角にある交差点は右へ進むと美濃太田駅に通じます。ここで、スマホの雷雨レーダを見てみました。朝に比べるとだいぶ薄雲が広がってきましたが、晴れには変わりありません。1時間後も雷雲はかかりそうにないので、この先も歩きを続けることにしました。

 左手、祐泉寺の脇を過ぎるとその先に桝形が残っています。上町の桝形跡です。

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 桝形の先、すぐの左手には旧旅籠小松屋があります。江戸時代末期の町屋建築で、国の有形文化財に指定されています。現在は観光客の休み処となっています。

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 桝形を過ぎると旧家が多くなります。呉服の永楽屋や肥料の辰巳屋と趣のある商家が並んでいます。

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 桝形から歩くこと3分で、左手には林家脇本陣跡があります。うだつの上がる立派な建屋です。主屋は明和6年(1769年)に建てられたもので、 国の重要文化財に指定されています。

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 脇本陣のはす向かいは旧本陣跡があります。現在は門だけが残っています。この薬医門は和宮の降嫁の際に新築されたものです。

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 本陣の先で十字路に出ます。かつては高札場があり、西の桝形となっていました。下町の桝形と呼ばれています。

 十字路の右手角には高札場跡と郡上街道追分の説明板が立っています。さらに、十字路の右手向かいの角には道標も立っています。「右 関上有知道 左 西京伊勢道」と記されています。明治26年1893年)に作られたものです。

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 中山道はこの十字路を左折します。すぐに、木曽川の土手に突き当り、道なりに右折します。その先、木曽川に架かる国道41号の中濃大橋の下をくぐります。

 そして、次の角を左折します。角には虚空蔵堂があります。明治の小説家で劇作家の坪内逍遥の父は幕末の太田代官所の役人でした。逍遥はこの虚空蔵堂で遊んでいたそうです。

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 正面の階段を上がり土手道に出ます。

 太田の渡しの以前、対岸の土田とを結ぶ大井戸の渡しがここにありました。

 再び土手道を歩きます。

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 木曽川を眺めながら土手を歩いて10分、正面に一色大橋が見えてきます。一色大橋の袂の十字路を右折します。

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 すぐに国道21号に突き当たるので、ここを左折して、国道を歩きます。

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 酒倉交差点の先には三菱自動車パジェロ工場があります。パジェロ生誕の地とのことです。

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 酒倉交差点から7分ほど歩くと小さな川を渡りますが、その袂に一里塚碑がひっそりと立っています。取組の一里塚で、日本橋から数えて99里目の一里塚です。

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 その先、坂祝(さかほぎ)町役場前交差点を左折するとすぐに木曽川の土手に上がることができます。

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 三度、土手道を歩きます。このあたりの木曽川の流れは太田宿付近とは様変わりしていて、山間を流れています。

 ここは、日本ライン下りのコースとなっていますが、今は運休中のようです。

 対岸は愛知県です。中山道は愛知県を通りませんが、このあたりが一番接近している場所になります。

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 その先、土手下の国道に取組交差点が見えてきます。この交差点を右折すると坂祝駅に通じています。ここで、再度雷雨レーダをチェックしましたが、まだまだ大丈夫そうなので、先に進むことにしました。

 この土手道はロマンチック街道と呼ばれているようです。

 ロマンチック街道を歩くこと18分、土手下の国道に勝山交差点が見えてきます。ここで土手歩きは終わりとなり、交差点に降ります。

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 国道を横断した信号機の脇に「右 江戸善光寺 左 せきかじ」と記された勝山道標があります。交差点から右手の道が関道となります。

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 両側から迫ってくる山々を見ながら国道を歩きます。

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 勝山西交差点を過ぎると右手に岩屋観音の駐車場があります。下の写真の車が止まっている脇から入る道が中山道の旧道となります。

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 道は岩屋観音に向けて坂道を上ります。

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 木曽川の造る峡谷がよく見渡せます。このあたりの地形は海底で堆積されたチャートや堆積岩などが隆起して、木曽川によって浸食されてできたものだそうです。絶景です。

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 坂を上り切ると岩屋観音があります。断崖を背にしたお堂に岩屋観世音菩薩が祀られています。地元の人のみならず、旅人も旅の安全を願い祈ったとされています。

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 その先、西側の階段を下り国道に出ます。国道の歩道に出ると、少しだけ遊歩道があります。

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 国道を10分ほど歩き、左手の今はやっていない店の駐車場に入ります。

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 駐車場に入って斜め前方にある階段を下ります。

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 階段を降りると正面に水路が流れています。右手の人が歩ける道を進み、国道と鉄道の下のトンネルをくぐります。かつて、木曽路十二兼あたりで似たようなトンネルを通りました。

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 トンネルを抜けると山間に入ります。沢沿いの階段を上がり、道なりに右へ草道を進むと正面にうとう峠の説明板が立っています。

 この先の木曽川沿いは急傾斜の危険な道だったため、慶安4年(1651年)にうとう峠を越えて鵜沼宿へ通じる道ができました。「うとう」とは、山と山との間という意味だそうです。

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 その先はうとう峠までの土道の上り坂になります。この峠道には「マムシ注意」の看板が多いです。

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 しばらく歩くと、休憩スペースのある広場が現れ、その先は石畳の道になります。ここはいこいの広場と呼ばれています。

 整備された石畳道を歩きます。山間の道を上って12分、峠らしきところに到着します。標高140mのうとう峠です。

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中山道(25)伏見から各務原 その3へ続きます。