今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(25)伏見から各務原 その3

 

2017年4月29日

 

うとう峠の一里塚

 

 うとう峠から先も石畳の道は続きます。この辺りは日本ラインうぬまの森公園として整備されています。

 峠を下って5分、右手にうとう峠の一里塚があります。日本橋から数えて、記念すべき100里目の一里塚です。400kmも歩いたことになります。下の写真は北塚で現存しています。南塚は半分壊されて残っているとのことですが、気がつきませんでした。

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 その先、右手には日本ラインうぬまの森の石碑が立っています。

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 しばらく公園内歩き、公園の入口から車道に出て、道を下ります。あたりは団地が並んでいます。

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 その先に池が見えてきます。合戸(かっこ)池です。江戸時代の絵図にも登場しているそうで、池の水は江戸時代から農業用水として利用されてきました。

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 池を回り込むように進み、その先のY字路を左へ入ります。

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 住宅地の中、鵜沼宿を目指して一直線に坂を下ります。

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 下り坂の途中、右手の視界が開け、鵜沼の町が一望できます。その向こうには伊木山が見えます。

 伊木山は各務原市内の平野部にそびえる独立峰(丘?、標高173m)で木曽川べりに立っています。愛知県側の同じく木曽川べりに立つ犬山城の丘から西へおよそ1km離れたところにあります。

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鵜沼宿

 

 一里塚から下って20分、道は二手に分かれます。中山道は右へ進みます。Y字路の分岐には小さな赤坂の地蔵堂があり、その脇には東の見附跡と地蔵堂の説明板が立っています。鵜沼宿の東の入り口です。

 Y字路を左へ進むとJR高山本線鵜沼駅名鉄新鵜沼駅へ行けますが、天気は問題なさそうなので、鵜沼宿を通りその先の各務原駅まで歩くことに決めました。

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 たまに車とすれ違う静かな街道です。

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 すぐの右手、鵜沼東町ふれあいセンターの前に高札場跡の説明板が立っています。この先のバイパスとの交差点で高札場が復元されています。

 ふれあいセンターの脇は赤坂神社の参道入口になっていて、傍らには常夜燈が立っています。宝暦6年(1756年)に建立されたものです。 

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 五叉路の交差点の先から、道は小石を埋め込んだ中山道の道となります。

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 赤坂の地蔵堂から7分ほど歩くと、国道21号鵜沼バイパスとの大きな交差点に着きます。その名も鵜沼中山道交差点です。交差点手前の右手には、先ほど通過した場所にあった高札場が再現されています。

 また、交差点手前の左手には尾州領傍示石と説明板があります。「是より東尾州領」と記されています。

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 バイパスを横断し交差点の左手角にも尾州領傍示石が立っています。こちらには「是より西尾州領」と記されています。尾張徳川家領鵜沼村と幕府御料各務村が中山道にかかって込み入った境界を作っていたため、尾張藩中山道脇に立てたものでしたが、この地に移設されました。

 傍示石の脇には問屋場跡の説明板もあります。

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 その先、大安寺川に架かる大安寺大橋を渡ります。宿場町風に作られ、常夜燈や柳の木がその雰囲気を醸し出しています。とてもいい感じです。

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 ここから、宿場町らしい町並みが続きます。右手は、旅籠を営んでいた武藤家で、現在は町屋館(歴史民俗資料館)として整備されています。

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 その向かいには、旧大垣城鉄門があります。蘇原の安積家の門として使われてきたものをこの地に移築しました。高麗門と呼ばれる型式の門で、正面には短冊状の筋鉄(すじがね)が張られ、鉄門と呼ばれていました。移築に伴う解体調査の結果、土台に墨書が発見され大垣城本丸の門であったことが分かりました。各務原市重要文化財に指定されています。

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 その先、右手T字路の角に桜井家本陣跡の説明板が立っています。現在は、新しい住宅が建っています。その向かいは菊川酒造の大きな本蔵が建っています。遠くからでも目立つ建屋です。明治4年1871年)創業の造り酒屋です。

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 その右手は、坂井家脇本陣跡があります。復元されて間もないようです。

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 さらに、その先左手には、坂井家住宅(丸一屋)、梅田吉道家住宅(茗荷屋)、梅田昭二家住宅、安田家住宅(若竹屋)が並んで建っていて、宿場町の景観を維持しています。梅田昭二家住宅と安田家住宅の間には秋葉山常夜灯が立っています。

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 信号機のある交差点の先に西の見附跡があります。このあたりが鵜沼宿の西の入口でした。東の見附跡から、写真を撮りながらおよそ30分かけて鵜沼宿を歩きました。

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 このあたりの中山道木曽川河岸段丘の上を通っていて、高台になっています。左手彼方には、対岸にある犬山城が見えます。

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 その先の右手、空安寺脇の駐車場奥には衣装塚古墳があります。岐阜県下最大の円墳とのことですが、前方後円墳の前方部が削られてしまった可能性もあると言われています。4世紀末から5世紀前半のものと見られています。

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 西の見附跡からおよそ15分、街道は左からの国道21号と合流します。鵜沼羽場町交差点です。その先は、片側2車線の交通量の多い国道歩きとなります。

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 国道21号を歩いて10分で、JR高山本線を越えます。歩行者は右手の側道に入り、その先で国道21号の下をくぐり、左側にある歩行者用の跨線橋を渡ることができます。時刻は午後1時前、結構暑くなってきました。

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 跨線橋を渡る左手の手前に播隆上人の碑があり、ここに山の前の一里塚跡があります。国道の跨線橋の右手の側道を入って、歩行者用跨線橋の手前で左側に移ったため、うっかり見逃してしまいました。日本橋から数えて102里目の一里塚です。

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 跨線橋を渡って再び国道と合流します。

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 その先が各務原町交差点です。本日の街道歩きはここまでとします。心配した雷雨には合わず良かったです。

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 交差点でJRの各務原駅はどこだろうと周囲を見回しましたが、よくよく見ると交差点の右手に駅舎がありました。一見、何かの店に見えます。

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 交差点を左折して名鉄で岐阜駅に向かうことにしました。すぐの踏切の手前右手に名電各務原駅があります。時刻は13:00。5時間10分の行程でした。ちょうど、13:03の名鉄岐阜行の電車が来たのでそれに乗って帰路につきました。

 そして、岐阜駅に着いたところで、とうとう雲行きが怪しくなりましたが、今日一日なんとか持ちこたえました。

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