今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(26)各務原から美江寺 その2

 

2017年11月23日

 

切通

 

 切通地区に入ると古い民家が多く見られるようになります。T字路を右折して5分、右手道路脇に「切通陣屋跡へ35m」の標識があります。

 右に入ってすぐの左手に切通観音堂がありますが、その一角に陣屋跡の説明板が立っています。享和3年(1803年)に、かつての長森城址切通陣屋が築かれ、以後、明治時代に入って廃藩置県が行われるまで安藤氏が治めていました。

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 中山道の標識に従って切通地区を歩きます。

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 陣屋跡から7分、切通4丁目交差点を直進すると細畑地区に入り、その先、長森細畑交差点で国道156号、岐阜東バイパスを横断します。

 交差点を渡ると、左手に焼き板張りの蔵が並んでいます。趣のある通りです。

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 国道156号を横断して5分、細畑の一里塚跡があります。日本橋から数えて105里目の一里塚です。両塚とも復元されていて、下の写真は南塚です。

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 そして、北塚です。ゴミ置き場となっているのはちょっと、といった感じです。

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 領下地区を歩きます。

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 その先で、JR東海道線の高架をくぐります。このあたりから、ぽつぽつ雨が降り始め、仕方ないので傘をさすことにしました。街道歩きを始めて、初めての傘登場です。冬型の気圧配置の中、雪雲が流れ込んで雨を降らせているのでしょうか。

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 茶所(ちゃじょ)バス停を過ぎます。雨はさほど強くありません。

 その先右手には森邸があります。岐阜市の都市景観重要建造物に指定されています。かつてはこのあたりに高札場がありました。

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 すぐに名鉄線の踏切を越えます。左手には茶所駅があります。雨は上がりました。

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加納宿

 

 線路を渡るとすぐの左手に加納宿の石碑が立っています。加納宿に入ります。

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 先のT字路、だんごやの角を右折します。ここから桝形が続き、6回曲がることになります。

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 T字路を右折するとすぐに、加納大橋があり新荒田川を渡ります。橋の欄干には大名行列レリーフが飾られています。

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 その先の十字路を左折します。二つ目の桝形です。角には谷汲道標があります。明治18年(1885年)に建立されたもので、「右 岐阜谷汲、左 西京」と記されています。ここもゴミ置き場になっています。

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 加納宿に入ると中山道を分りやすく歩けるように、道に小石が埋め込まれています。馬籠宿や中津川宿でも見られました。

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 その先で大通りに突き当たりますが、その手前を左折します。三つ目の桝形です。

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 右手角に東番所跡碑が立っています。かつて、通行人を見張る番所がありました。

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 すぐに善徳寺に突き当たるので右折します。四つ目の桝形です。

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 さらに先ほどの大通りを横断します。岐阜の街中ではありますが、街道沿いには古い民家も点在しています。

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 だんごやの前を曲がって12分、太田薬局の前を左折します。五つ目の桝形です。

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 薬局の前に岐阜道の道標とその説明板が立っています。江戸中期のもので、最初は「左中山道」「右ぎふ道」と記されていましたが、明治初年に「左西京道」「右東京道」の標識が追加されました。この辻は交通の要所でした。

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 すぐに広井橋で清水川を渡ります。先ほど渡った新荒田川の支流のようです。

 広井橋を渡った左手、橋の袂に高札場跡の説明板が立っています。

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 その先は加納大手町交差点です。中山道は交差点の手前、下の写真では医院の看板の前を右折します。六つ目、最後の桝形を曲がります。

 加納大手町交差点の横断歩道橋の脇には加納城大手門跡の石碑が立っています。この付近に大手門がありました。城址までは行きませんでしたが、正面突き当たりには石垣が見えます。

 岐阜で有名な城は岐阜城ですが、岐阜城関ヶ原の合戦の後に廃城となり、新たにこの地に加納城が造られ、明治維新まで藩主の居城となっていました。

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 その先3分で、左手には二文字(にもんじ)屋があります。現在は鰻屋で店も新しくなっていますが、かつては旅籠を営んでいました。左甚五郎作の月夜に河原で餅をつくウサギの欄間があります。

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 すぐの右手には当分本陣跡があり、石碑が立っています。臨時の本陣だったそうです。

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 加納中通りを横断します。横断した右手歩道には加納宿碑と時計台のモニュメントがあります。

 その先、すぐの右手の民家の門の前に、加納宿本陣跡の石碑が立っています。石碑の側面には「皇女和宮御仮泊所跡」と記されています。その奥には和宮の歌碑がありますが、崩し字でよく読めません。

 「遠ざかる 都としれば 旅衣 一夜の宿も たちうかりけり」

 と記されているそうです。

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 本陣跡の数軒先には西問屋跡碑が立っています。

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 さらに西問屋跡碑の数軒先の黒塀の民家の門の前に脇本陣跡碑があります。

 その先にももう一軒脇本陣跡がありましたが見過ごしてしまいました。

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 すぐに、岐阜駅からの通りに出ます。ちょうどお昼も過ぎたので岐阜駅に寄って昼食をとることにしました。通りを右折します。

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 岐阜駅前で急に暗くなり、ぽつりぽつりとまた雨が降ってきました。

 昼食を終え、およそ30分後に中山道に戻りました。よくよく見たら駅前通りを横断する歩道がなかったので、さらに先の大通りとの交差点で反対側まで渡り、街道に戻りました。

 駅前通りからは、どこにでもあるような都市部の町並みが続きます。中山道を示す小石の道は歩道の部分のみになっています。昼食をとっている間に天気は回復して、陽が差してきました。

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 駅前通りから5分、左手に秋葉神社があります。かつて、このあたりに西番所があり、西の木戸がありました。加納宿には多くの秋葉神社を見ることができます。

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中山道(26)各務原から美江寺 その3へ続きます。

 

中山道(26)各務原から美江寺 その1へ戻ります。

 

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