今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(26)各務原から美江寺 その3

 

2017年11月23日

 

加納の一里塚

 

 西番所跡から7分、郵便局から二本目の路地を左に入るとすぐの右手に加納の一里塚碑とその説明板があります。日本橋から数えて106里目の一里塚です。

 説明板には先ほどの本陣跡にあった和宮の歌も記されています。

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 中山道に戻り、その先でT字路に突き当たるので、左折して東海道本線の脇を歩きます。

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 清本町2丁目交差点を右折して高架の下をくぐります。

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 道なりに左へカーブすると、すぐに、六差路の交差点に着きます。清本10丁目交差点です。一瞬、どの道を進めば良いのか立ち止まってしまいましたが、直進方向であることを信じて進みました。その先に小学校があったので正解でした。

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 本荘町交差点付近を歩きます。

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 清本町10丁目交差点から12分で鹿島町8丁目交差点に着きます。広い道を横断すると右手角に多羅野(だらり)八幡神社があります。かつて、このあたりに茶屋があり名物のだらり餅を売っていました。どのような味だったのでしょうか。

 またしても、暗い雲が立ち込め始めました。ころころ変わる天気です。

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 その先、すぐに鏡島(かがしま)大橋南交差点で岐阜環状線を横断します。右手は長良川に架かる鏡島大橋があり、長良川も近くになりました。

 交差点を横断すると鏡島地区に入ります。マンションなども建ち並び、まだ、都市部にいるという感じです。

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 鏡島大橋南交差点から10分弱でT字路に突き当たります。岐阜街道との追分、鏡島追分です。中山道は左へ進みます。

 T字路の手前に流れる諭田川を渡ります。橋の欄干代わりのガードレールには追分橋というプレートが付けられています。

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 左折すると右手に乙津寺(おっしんじ)寺標が立っています。乙津寺は鏡島の弘法さんとして親しまれています。弘仁5年(814年)に弘法大師嵯峨天皇の命を受けて建立したと伝えられています。お寺はこの奥、長良川の近くにあります。

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 その先、道路際、右手には古民家カフェがあります。時間があれば寄って行きたいところでしたが。

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 追分から歩いて13分、道が二手に分かれ、その先には長良川の土手が見えてきます。

 直進すると土手下の道と合流しますが、その角に鏡島湊の説明板が立っています。伊勢湾を結ぶ長良川の舟運の湊として栄えました。

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 土手下の道に出たところで、一旦上流に向かって少し戻り、Uターンして土手上の道へ通じる坂を上ります。

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 土手上の道を進むと、河渡橋の袂にある河渡橋東交差点に着きます。ここで一旦交差する県道92号を横断して、長良川に架かる河渡橋の南側の歩道に入ります。

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 長良川を渡ります。橋の南側の空は回復し始めていました。かつては、河渡橋の南の袂あたりから渡し船が対岸の河渡宿に向けて渡されていました。

 長良川の上流に目をやると、彼方には金華山を望むことができ、頂上には岐阜城も見えます。

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 河渡橋を渡り切ると橋の袂の柵の切れ目、「注意」標識のところから土手道に降ります。そして、しばらく土手上の道を下流に向けて歩きます。

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 右手、土手の下には、これから目指す馬頭観音堂が見えてきます。

 このあたりに、対岸の橋の袂付近とを結ぶ河渡の渡しがありました。

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 馬頭観音堂に向けて、土手から階段を下ります。

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河渡宿

 

 土手道から下ると右手に馬頭観音堂が建っています。荷駄役の人達が天保13年(1842年)に銭百文ずつ寄進し、道中と家内安全・五穀豊穣を祈願し、愛染明王を奉杞しました。地元では、馬頭観音さんと言われ親しまれています。その左手には、「いこまい中山道河渡宿」と書かれた灯籠のモニュメントが立っています。いこまいとは「行きましょう」という意味のようです。

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 モニュメントの前を左折して先へ進みます。しばらく、土手道と並行して下流側へ歩き、次の交差点を右へ入ります。

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 その先、右手に松下神社があり、その前に、河渡宿碑と一里塚跡碑が立っています。日本橋から数えて107里目の一里塚です。

 この辺りは洪水が起こるたびに大きな被害を受けていたため、代官を努めていた松下内匠が宿場内の土地を5尺ほど嵩上げし、水害から守りました。人々はこれに感謝して松下神社を建立したそうです。

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 河渡宿は全長3町、330m程しかなく、往時を思わせる町並みはありません。

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 土手脇の道から5分で河渡2丁目交差点を横断します。このあたりが、河渡宿の京側の入り口でした。

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 河渡2丁目交差点から歩くこと25分、中川橋を渡ると、右手に本田代官所の説明板が立っています。説明板によると、江戸時代の一時期、このあたりに幕府直轄地の代官所がありましたが、詳細は定かでないとのことです。

 本田は河渡宿美江寺宿の中間に位置し、立場がありました。

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 さらに、小さな川を渡った右手に、進行方向に背を向けた高札場跡の説明板が立っています。

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 その先、五六橋で五六川を渡ります。五六というのは、美江寺宿が江戸から数えて56番目の宿場町であることから、そのように名前を付けられたそうです。実際は55番目なのですが。

 美江寺宿も間近です。

 空がとても広いです。

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 広々とした田園風景の向こうの北側の山々は雪雲に覆われています。虹が架かっていましたが、残念ながら、写真ではうまく捉えられませんでした。

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 美江寺五六町交差点を過ぎると、往時は松並木が続いていましたが、今は何も残っていません。

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美江寺宿

 

 代官所跡から20分弱、樽見鉄道の踏切を越えます。かつてこのあたりが美江寺宿の江戸側の入口でした。

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 その先のT字路で、本日の街道歩きは終わりにします。気温は下がって、結構、寒くなりました。

 右折して美江寺駅に向かいます。T字路の手前角には谷汲道追分の道標が立っています。

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 15:30に美江寺駅に到着しました。今日は6時間30分の行程でした。晴れたり曇ったり雨が降ったりと、目まぐるしい一日でした。

 美江寺駅15:52分発の電車に乗り、大垣に向かいます。今日の宿は大垣駅前のアパホテルです。

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中山道(26)各務原から美江寺 その2へ戻ります。

 

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