今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(29)鳥居本から五個荘 その1

 

2018年11月12日

 

鳥居本宿

 

 彦根駅から近江鉄道に乗って鳥居本駅に8:10に到着しまた。天気は薄曇りながら青空も見えます。気温は昨日と同じぐらいです。8:20に歩き始めます。 

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 駅前の国道8号を横断して、すぐに本日のスタート地点に立ちます。ちょうど、朝の通勤ラッシュの時間帯であり、街道が国道の裏道になっているようです。街道から国道へ出るための車の渋滞が続いています。 

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 すぐの左手には、脇本陣と問屋跡の説明板が立っています。 

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 脇本陣の先には合羽所「松屋」跡があります。合羽の形を模した看板が特徴的です。

 戦後、ビニールやナイロンに取って代わった鳥居本の合羽は1970年代に終焉を迎えました。結構最近まで作っていたのですね。 

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 しばらく歩くと、十字路の右手角に立派な屋根のついた常夜燈を見ることができます。あまり見かけない形をしています。 

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 鳥居本宿の町並みを見ながら歩きます。 

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 スタート地点から10分弱で、右手に専宗寺があります。立派な山門です。聖徳太子開祖の寺だそうです。

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 専宗寺から5分で、T字路に着きます。右の道は、彦根道と呼ばれ、野洲から分かれた朝鮮人街道がここで合流します。角には道標が立っていて。「右彦根道 左中山道京いせ」と刻まれています。文政10年(1827年)建立と説明板には記されています。

 朝鮮人街道は、鳥居本から彦根、安土、近江八幡を経て野洲で再び中山道と合流します。元は織田信長安土城から京や北近江、美濃へ通じる道を整備したのが始まりのようです。そして、後の徳川の時代になって、将軍上洛の際にはこの道を使い、将軍専用道となりました。さらに、将軍の代替わりの際に、朝鮮通信使江戸城で朝鮮国王の国書を奉呈するようになりますが、江戸へ向かう途中、彼らにこの道を通させることにより、将軍家の権威付けを図ったと言われています。

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 その先で、家並みが途切れ、視界が開けます。

 左手には、「ここは小野町 古宿」という標識が立っています。この先の旧小野村は東山道時代の宿駅があった場所で、古宿と呼ばれていました。 

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 小野町地区に入ります。すぐのところに小野こまち会館があります。この地は、小野小町の出生地であったと言われています。 

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 10分ほど歩くと、左手には小野小町を祀っている小野小町塚があります。その隣には小野前茶屋跡の説明板があります。明治中期まで茶屋があり、多賀大社に詣でる客で賑わっていました。

 現代の街道の脇には新幹線の線路が走っています。数分おきにひっきりなしにすごい音を立てて通過していきます。 

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 その先で新幹線の高架をくぐり、新幹線脇の反対側を歩きます。

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 原町地区に入ってすぐのあたりに、原村の一里塚があったと言われていますが、場所は特定されていません。日本橋から数えて119里目の一里塚です。 

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 原町地区を抜けると右手に原八幡神社があります。神社内には芭蕉の昼寝塚があります。

 すぐに名神高速道路彦根インターチェンジの2本の高架が見えてきます。その手前の右手には中山道原町碑と五百羅漢のある天寧寺への道標が立っています。 

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 高架をくぐった先で、国道306号を横断します。交差点の先は県道528号となりますが、交通量が急に増えてきました。しかし、この道には歩道がなく、歩くのが多少怖いです。 

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 次の信号のある交差点の左角には、金毘羅大権現道標が立っています。 

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 その先、大堀橋で芹川を渡ります。芹川は琵琶湖へ注いでいます。橋の上からは彦根の市街地を望むことができます。 

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 橋を渡った大堀町交差点を横断すると、左手には多賀道道標がポツンと立っています。この角を左折すると、多賀大社への近道となるようです。 

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 多賀道道標の向かいには石清水神社があります。趣のある灯篭が立っています。 

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 その先のT字路の右手角、民家の塀の脇に彦根道道標が二つ並んで立っています。大きい方は、「すぐ中山道 左彦根道」と記されています。小さいほうは右と左の文字しか読めません。このT字路を右に曲がると彦根城下に続いているようです。 

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高宮宿

 

 大堀橋を渡って15分、近江鉄道の踏切を渡りますが、踏切の手前右手には、スマートな多賀大社常夜燈が立っています。かつて、このあたりに高宮宿の江戸側の入口がありました。 

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 踏切を渡ります。

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 その先、高宮町大北交差点を横断すると、高宮宿の古い町並みに入ります。 

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 右手、高宮神社の鳥居の対面には布惣跡があります。高宮はかつて高級な麻布(高宮布)の産地であり、この地に集荷蔵がありました。7つの蔵いっぱいに高宮布が集積され、そのすべてが出荷されることが、通常、年に12回は続いたと言われています。現在は5つの蔵が残っているそうです。 

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 さらに、高宮宿の町並みは続きます。 

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中山道(29)鳥居本から五個荘 その2へ続きます。

 

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