2018年11月12日
中宿
中宿地区に入ります。愛知川宿の入口はもう少し先のようです。
中山道愛知川宿のゲートをくぐります。
左手には、料亭を営んでいる近江商人亭があります。田中新左衛門の旧宅で、建屋は国の登録有形文化財に指定されています。
愛知川宿
中宿をしばらく歩くと、右手に和菓子のしろ平老舗がありますが、かつて、このあたりに愛知川宿の江戸側の入口がありました。
上を見上げると、街灯には何やら賑やかなモニュメントが飾られています。
その先、大きな通りとの交差点を横切ります。
交差点を渡った左手角には、中山道のポケットパークがあります。愛知川宿の石碑や広重の絵のレリーフ、そして、明治4年(1871年)、郵便創業時に使用されていた書状集箱を模したポスト(現在も使えます)があります。
また、後方の壁には、「むちんばし」の由来の説明板が架かっています。この先の愛知川に架かる橋もかつて無賃橋であったそうです。
愛知川宿の中心部に入ります。右手、日本生命があるあたりが本陣跡です。隣の瀟洒な洋館は、大正15年(1926年)に造られた近江銀行愛知川支店跡です。平成26年(2014年)に愛荘町に譲られて、現在は、愛知川宿街道交流館「愛知川ふれあい本陣」となっています。
その先、八幡神社参道の常夜燈の袂に高札場跡の石碑が立っています。このあたりに、脇本陣もありました。
左手には問屋跡の石碑が立っています。その隣には、文政11年(1828年)創業の漬物店マルマタがあります。
さらに、愛知川宿の町並みの中を歩くと、正面に旧旅籠竹の子屋で現在は料亭旅館を営んでいる竹平楼が見えてきます。通りに面した場所に明治天皇御聖跡の石碑が立っています。明治11年(1878年)に明治天皇が立ち寄られ、御座所が今も残されています。ここも国の登録有形文化財に指定されています。
その先、先ほど宿場の入口にもあった愛知川宿のゲートをくぐります。
愛知川宿のゲートをくぐると国道8号と合流し、そこを左折して国道を歩きます。交差点の右手駐車場の奥には、愛知川の一里塚の石碑が立っています。日本橋から数えて122里目の一里塚です。
交通量の多い国道をひたすら歩きます。
国道を歩いて5分強、御幸橋手前で左へ入ります。
すぐに愛知川に突き当たります。愛知川はかなりの川幅です。右折して御幸橋を渡ります。
ここには、かつて無賃橋が架かっていました。天保2年(1831年)、地域の有志によって通行料を取らない板橋が架けられました。また、明治11年(1878年)、明治天皇の巡幸の際、馬車の通る橋に架け換えられ、御幸橋と呼ばれるようになりました。
上流には近江鉄道の鉄橋が見えます。
橋を渡り切ると簗瀬北交差点に出るのでここを左折します。すぐに、先ほど見えた近江鉄道の踏切を渡ります。
その先で街道は右に入ります。角には常夜燈が立っています。この常夜燈は御幸橋を渡る手前の常夜燈と対になっており、共に「睨み燈籠」と呼ばれています。
右へ入ると五個荘地区となります。静か通りです。
再び近江鉄道の踏切を渡ります。
その先には駅入口の標識が立っています。本日の街道歩きはここまでとして、左へ入って五箇荘駅へ向かいます。
五箇荘駅前からの道との十字路を左折します。
正面突き当りが五箇荘駅です。13:05に到着しました。今日は4時間45分の行程でした。心配していた雨にも降られず良かったです。
駅前広場には、「小幡商人発祥の地」と記された石碑が立っています。小幡商人は近江商人のルーツと言われています。
13:18の電車に乗って彦根駅へ向かいました。