今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(30)五個荘から野洲 その1

 

2018年11月13日

 

五個荘

 

 今回の街道歩きの3日目、最終日です。彦根駅から電車に乗り、8:33に五箇荘駅に到着しました。天気は晴。気温は3日間とも同じくらいとなりました。8:45に本日のスタート地点に向けて歩き始めました。

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 駅前通りの先の十字路を右折して、昨日と同じ道をたどり、本日のスタート地点に立ちました。ここを左折して中山道に入ります。

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 右手、山王神社の向かいには中澤酒造があります。茶色くなった杉玉が下がっています。

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 その先左斜めへ続く道は御代参街道と呼ばれています。伊勢神宮多賀大社に詣でる朝廷や皇族の代参りが通ったためこの名が付けられました。

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 中山道との角には追分道標が立っています。「右京みち 左いせひの八日市みち」と記されています。

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 その先のY字路を右に入ります。角には背の高い大神宮常夜燈が立っています。

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 大神宮常夜燈の先、すぐに大同川を渡り左折します。

 大同川沿いを歩くと、街道の名残なのか立派な松の木が立っています。

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 左手には、大きな五個荘地区の絵図が立つ中山道ポケットパークがあります。

 道の反対側には旧五個荘郵便局の洋館が見えます。大正14年(1925年)に竣工した建物で、国の登録有形文化財に指定されています。

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 五個荘地区の静かな街道を歩きます。天気は薄雲が掛かっていますが、すっきりとした朝です。

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 左手視界が広がった角に、常夜燈が立っています。台座には「左いせひの八日市 右京道」と記されており、道標でもありました。

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 常夜燈から5分ほど歩くと右手には、近江商人市田庄兵衛家の本宅跡があります。「京町家風商家の保存」という説明板が掲げられています。奥に細長い京町家風の建築様式になっているそうです。建屋は明治初期のものです。

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 その先、交差点を越えた右手には、金毘羅大権現常夜燈が立っています。その脇の茅葺の民家のあたりに茶屋本陣があったと言われています。

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 大同川を渡って、左折してから25分、石塚の一里塚跡に着きます。右手歩道には石碑と説明板が立っています。日本橋から数えて123里目の一里塚です。

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 やがて、国道8号と合流します。角には「てんびんの里」の石碑が立っています。天秤棒を肩にかけ諸国で商いを行い、やがて豪商になった近江商人ゆかりの地を表しています。

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 国道を歩いてすぐの清水鼻交差点を右に入り、さらにすぐのT字路を左折します。

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 これまで何度も見かけた「飛び出し坊や」、昨夜のテレビで初めて知りましたが、「飛び出し坊や」はここ東近江市が発祥の地だったのです。

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 その先、右手には湖東三名水のひとつ、清水鼻の清水があります。今も絶え間なく湧いています。傍らには石碑も立っています。

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 静かな清水鼻の街道を歩いていると、いつの間にか近江八幡市に入ります。フードショップタケヤスの角を左折すると、右手には大神宮常夜燈が立っています。

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 国道8号から分かれて10分で、再び国道と合流します。新幹線の高架が近くに迫っています。

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 しばらく、国道8号を歩きます。さすがに車の通行量は多いです。ここは安土町、安土山は右手の小高い丘の向こう側にあるのでしょうか。

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 その先で新幹線の高架をくぐります。

 国道を歩いて8分、左手に奥石(おいそ)神社の看板がある十字路を左折しますが、信号も何もありません。車の切れ目を狙ってやっとのことで国道を横断しました。国道を渡って分かりましたが、なんと交差点の西側に地下通路がありました。

 交差点の角には「中山道東老蘇(おいそ)」の石碑が立っています。

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 東老蘇地区に入ります。ここも静かな家並みが続きます。

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 右手には奥石神社があります。立派な鳥居です。

 このあたり一帯は老蘇の森と呼ばれています。万葉の昔から多くの歌に詠まれ、杉、檜、松などが鬱蒼と茂る太古からの森となっています。伝説によるとその昔、この地域の地が裂け、水が湧いて人の住めるところではありませんでした。このため、石部大連(いしべのおおむらじ)という人が木々の苗を植えて神々に祈願したところ、すぐに大きな森となりました。そして、石部大連が百数十歳になるまで長生きしたため、いつしか「老蘇森」(老いが蘇る)と呼ばれるようになりました。

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 その先、左手には根来陣屋小路の標識があり、右手の路地に入ると突き当りにかつて根来陣屋があったようですが、立ち寄りませんでした。鉄砲衆の根来氏で、後に徳川家康に仕え旗本に取り立てられました。

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 その先は、内野道と中山道の交差点に出ます。右手の角には、新しい石碑が立っていて、西側には「内野道 右八日市 左安土」、東側には「内野道 右 観音生寺 左 十三仏」と記されています。

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 交差点を過ぎた左手には、奥石神社御旅所碑が立っています。祭礼の際に、神輿を仮に鎮座させて置くところです。

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 趣のある西老蘇地区を歩きます。

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 亀川交差点を過ぎると西生来(しょうらい)地区へ入ります。右手の景色が広がり、「中山道 西生来 どうぞごゆっくり」の手書きの標識が立っています。

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 その先10分弱、左手MIKIYAあたりに西生来の一里塚跡があります。石碑が立っているとのことでしたが、見つけることができませんでした。日本橋から数えて124里目の一里塚です。下の写真は振り返って見ました。

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 やがて、西生来大橋で蛇砂川を渡ります。橋の欄干には中山道のプレートが架かっています。

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中山道(30)五個荘から野洲 その2へ続きます。

 

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