今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(30)五個荘から野洲 その2

 

2018年11月13日

 

武佐宿

 

 西生来大橋を渡ると、右手に武佐宿大門跡の標識が立っています。このあたりに武佐宿の江戸側の入口がありました。

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 すぐの右手には牟佐神社があります。鳥居脇には高札場跡の標識が立っています。ここにはかつて高札場がありました。

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 左手、小学校の先には明治天皇御聖跡と記された石碑が立っています。奥の広済寺は、推古5年(597年)、聖徳太子の創建と言われています。

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 その先の右手には、立派な冠木門が立っていて、武佐町会館があります。このあたりには脇本陣がありました。

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 脇本陣跡のはす向かいには、レトロな旧八幡警察署武佐分署庁舎が建っています。明治19年1886年)に建築され、国の登録有形文化財に指定されています。

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 その先で国道421号と交わる武佐交差点を横断します。交差点を渡った左手には、いっぷく処綿屋があります。壁には享保14年(1729年)にベトナムから来た大象の絵が飾られています。前年に輸入された像が大坂、京都を経てこの武佐宿で一泊しました。

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 右手には本陣跡があります。門は当時のものが残っています。

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 本陣の向かいには八風街道道標が立っています。写真の左手の道は、ここから鈴鹿山脈八風峠を越えて四日市付近で東海道と合流しています。

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 右手には、愛宕山常夜燈とその隣には高札場跡の標識が立っています。

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 その先は桝形となっていて、右へカーブする街道の先に武佐駅のホームが見えてきます。道なりに右へ曲がり、駅舎の前を通ります。

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 右へ曲がったあたりに西の見附があり、武佐宿の京側の入り口でした。さらに、街道は左へ曲がり、近江鉄道の踏切を渡ります。

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 近江鉄道の踏切を越えてしばらく歩くと、右手一帯が「いばeco広場」となります。伊庭貞剛の旧宅がありました。

 伊庭貞剛はここ西宿の出身で、明治13年1880年)に住友家大阪本店支配人になりましたが、後に煙害問題解決のために四国別子銅山の支配人として赴任し、精錬所の移転や荒廃した山々に植樹を行いました。

 伊庭家の屋敷は解体され、後に残った楠だけが往時を偲ばせるものとなっています。

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 その先で、国道8号と合流し左折して国道を歩きます。

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 国道を10分弱歩くと、六枚橋交差点に到着します。ここを左折してすぐのT字路を右に入ります。

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 静かな住宅街を歩きますが、すぐに国道と合流します。

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 7分ほど国道を歩くと真淵町交差点に差し掛かり、その先のY字路を右に入ります。

 真淵町交差点の右手には八幡社の鳥居が立っていますが、その傍らに高札場跡の石碑が立っています。

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 喧噪な国道から分かれると静かな街道歩きとなります。

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 大黒屋本店の前を通ります。近江牛コロッケの名店だそうです。

 この先あたりに東横関の一里塚があったそうですが、場所は不明とのことです。日本橋から数えて125里目の一里塚です。

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 その先は田園風景の中を歩きます。右手の遠方に見える山々は、詳しくはないのですが、琵琶湖対岸の比良山地でしょうか。

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 国道から分かれて12分、東横関交差点を通過します。その先、日野川の土手に向かって坂を上ります。

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 突き当りには横関川(日野川)の渡し場の説明板が立っています。安藤広重の武佐宿の絵はここ横関川の渡しの様子が描かれています。旅人は、平常は船で渡り、水量が減ると川に杭を打ち、2艘の船に板を渡して歩いて渡ったと言われています。

 ここからは笹藪が立ちはだかり、川を見ることすらできません。

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 日野川を渡るためにUターンして、土手道を上流に向かって歩きます。

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 その先で、やっと日野川とこれから渡る横関橋が見えてきます。

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 国道8号に突き当り、右折して横関橋を渡ります。歩行者専用の橋を通ります。

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 橋を渡り終わったら右折して、先ほどの対岸にある渡し場跡へ向かって土手道を歩きます。車は入ることができません。土手道の入口には中山道の標識もあります。

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 ところどころ手書きの標識があります。土手道の左手は見晴らしが良くなっています。

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 国道から土手道に入って5分、右手に横関川渡し跡の標識があります。ここも対岸同様に川が見えません。

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 その先で西横関地区に入ります。住宅地の中、松が美しいお宅の前を通り、道なりに進むと前方には国道8号との交差点が見えてきます。

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 横関橋を渡って15分、再び国道8号と合流します。西横関交差点です。交差する国道477号を渡った左手の角に水口道道標が立っています。ここから国道477号を南へ進むと東海道の水口宿へ繋がっています。東海道にもさほど遠くないところまで来ました。

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 しばらく国道8号を歩き、日本ペイントのビルの手前を左へ入ります。

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