今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

中山道(31)野洲から大津 その3

 

2019年4月26日

 

萩の玉川

 

 県道43号を横断した先、野路萩の玉川跡が右手にあります。かつてこのあたりは、野原一帯に広がる萩の名所でした。その中で、近くを流れる十禅寺川の伏流水が湧き出る泉がこの地にありました。いつしか枯れてしまいましたが、今は復元されています。

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 その先正面に池が見えてきます。弁天池です。道なりに池の脇を進みます。

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 さらに、狼川(おおかみがわ)を狼川橋で渡り、交差点を横断します。渡った公園の角には「東海道狼川」と記された常夜燈のモニュメントが立っています。

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 緩やかな坂を上り、工場の脇を通ります。大津市に入ります。

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 月輪地区に入ります。旧家も見られ、その先には、月輪池が近いことを示す道標も立っています。

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 月輪寺の先、信号のある交差点を渡ると左手は月輪池が広がります。池の前には東海道立場跡の石碑が立っています。かつては、池に映った月が美しい名所でしたが、なんと、池には水がありません。

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 池の先、道は大きく左へ弧を描きます。一里山3丁目交差点を横断し、さらに、一里山橋を渡ります。一里山の地名はこの先の一里塚からきたものだそうです。

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 一里山二丁目北交差点に到着します。横断する手前左手を振り返ったところに一里塚碑と説明板が立っています。月輪池の一里塚で、日本橋から数えて120里目の一里塚です。

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 大江地区を通ります。

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 瀬田小学校の先、中央に注意と一時停止の信号のある交差点で、旧東海道の標識に従って左折します。ここの交差点だけ妙に渋滞しています。

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 いつの間にか渋滞していた車の列がなくなり、趣のある通りとなりました。

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 その先、仏壇店の角を右折します。

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 静かな住宅地を歩きます。

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 やがて通りに出るので左折します。だんだん雲行きが怪しくなりました。すぐにも雨が降りそうな天気です。

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 車通りの多い道ですが、歩道が整備されているので歩きやすいです。

 すぐに高橋川を渡ります。赤い欄干の橋が架かっています。

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 変形十字路、神領交差点の手前、石材店の角を左へ入ると、すぐに突き当たります。中山道は右に曲がります。

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 突き当りから左手方向を眺めると、建部大社の鳥居が見えます。建部大社は近江国一宮とされており、ヤマトタケルノミコト日本武尊・倭武命)がご祭神として祀られています。平治の乱に敗れた源頼朝が平家に捕らえられて伊豆に流される途中、建部大社に立ち寄って源氏再興の祈願を行い、その後、 その願いが叶ったことから、武運来運の神とされています。

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 突き当りを右折すると神領交差点に出ますが、その右手角には、たにし飴で有名な辻末製菓舗があります。形がタニシに似ている飴だそうです。

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 神領交差点を越えると、その先に瀬田の唐橋が見えてきます。空模様が気になります。

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 川岸に降りて唐橋を眺めます。公園になっているので、しばし、ボーッとしていましたが、雨が気になってきて先を歩くことにしました。

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 中山道に戻り、唐橋を渡ります。欄干が黄色く塗られているのが特徴的です。川を渡る街道は結構車の往来があります。

 瀬田の唐橋は古代からの交通の要所で、京へ攻め入る側と京を防御する側との度重なる合戦の場となりました。その中で有名なのは、大友皇子大海人皇子との壬申の乱の最後の決戦が行われたところでもありました。

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 瀬田川下流側です。新幹線の鉄橋が見えます。このあたりは琵琶湖ではないようです。

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 中州を経て二つ目の唐橋を渡ります。

 その先で大津の町に入ります。所々旧家も見られます。さらに、京阪電車の踏切を渡ります。左手は唐橋前駅です。

 これから先、大津宿までは、街道も複雑に曲がり、京阪電車も複雑に曲がっているため、数回に亘って踏切を越えることになります。

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 すぐの鳥居川交差点を右折します。

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 しばらく歩いて国道1号の下をくぐると、二度目の京阪電車の踏切に出ます。

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 JR東海道本線の高架をくぐります。石山駅のすぐ脇です。

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