2013年12月7日
吾妻橋
吾妻橋交差点の先、吾妻橋の向こうにあの巨大な「金色のうんこ」の載っているスーパードライホールとビアジョッキを模したアサヒビールタワー、そして、スカイツリーが見えます。スーパードライはやはりすごいですね。
吾妻橋交差点の左手、東武浅草駅を挟んで道はY字路になっています。右側の道が江戸通りで、日光街道になります。交差点を左折して右の道へ入ります。
東武線のガードをくぐります。この先は隅田川と並行して歩くことになりますが、ビルが立ち並んでいて川沿いの墨田公園すらも見えません。
浅草駅から10分弱で言問橋西交差点に着きます。右に曲がると、言問橋を渡ってその先は水戸街道となっています。
言問橋西交差点も五叉路になっていて、日光街道は進行方向Y字路の左手に入ります。ここまで、何度かY字路を右に入ったり、左に入ったりしました。
ちょうど言問橋西交差点の正面にはスカイツリーが大きく見えます。堂々としています。良いアングルです。
さらに10分弱歩くと、山谷堀公園を横切ります。吉野橋の親柱があります。山谷堀はかつて三ノ輪から大川へ通じる運河として掘られましたが、吉原遊郭へ舟で通う山谷通いに使われました。昭和になって堀は埋め立てられて公園になりました。
山谷堀公園から15分で、明治通りとの泪橋交差点に着きます。ここから荒川区に入ります。
この先、車は南千住駅付近の線路の下を潜ることになりますが、歩行者はそのまま地上を直進します。
歩行者は線路の手前で歩道橋を渡り、その先で地下鉄南千住駅脇のガードをくぐり、さらに、JRのガードをくぐります。右手には、JR南千住駅、左手には回向院があります。
南千住駅入口から12分ほど歩くと、南千住交差点で国道4号と合流します。
南千住交差点で国道4号を横断すると左手には、素盞雄神社が建っています。立派な鳥居と色づいたイチョウの木が印象的です。
右折して国道4号を進みます。その先には隅田川に架かる千住大橋があります。橋の手前、左手に説明板が立っています。家康が江戸城に入って最初にできた橋だそうです。左側の歩道を通って大橋を渡ります。
大橋を渡り終えた左手に大橋公園があります。ここは、松尾芭蕉が奥の細道を旅するにあたり、深川から舟に乗ってこの地に降り立ち、歩き始めた場所です。この公園には、奥の細道矢立初めの碑や芭蕉の行程図が立っています。堤防から川岸に降ります。
川岸はテラスになっていて、休憩所や壁に広重の絵などが描かれています。「せんじゅこばし」と書かれた小さな橋を渡ると、大橋を通る国道4号の反対側に出ることができます。上手い名前を付けました。
ここには、千住大橋際の御上り場の様子を描いた絵などが掲げられています。大川の流れです。やはり広いです。
階段を上がり堤防を越えると、千住大橋の右側に出ることができます。国道4号の脇を橋沿いに歩くと、足立市場前交差点に着きます。日光街道は右脇の道に入ります。
交差点のすぐ右脇は足立市場があります。その入口のすぐ隣に、奥の細道プチテラスと呼ばれる小公園があり、芭蕉の像が立っています。
その先、左手にやっちゃ場の説明板が架けられています。この先、この通りの両側には三十数軒の青物問屋が軒を連ね、セリ声が「やっちゃい。やっちゃい。」と聞こえたことからその名前が付けられました。古くは戦国時代から昭和の太平洋戦争のころまで続いたと記されています。
京成線のガード下をくぐると左手すぐのところに、千住宿歴史プチテラスがあります。千住宿にある紙問屋横山家の蔵を移築し、資料館として公開しています。
その隣のクリニックの前に道標が立っていて、「是より西へ大師道」と記されています。
また、道沿いには、やっちゃ場の店の屋号が掛かっています。
街道は千住仲町交差点を過ぎると仲町商店街に入ります。入口には大きな源長寺が建っています。
千住宿
仲町商店街を500mほど歩くと、大通りとの交差点を渡り、本町商店街に入ります。
交差点の手前、右手角には千住の一里塚跡の石碑が立っています。日本橋から数えて2里目の一里塚です。また、左手角には、高札場跡の石碑も立っています。
交差点を渡ると千住本町商店街に入ります。
交差点を渡ってすぐの左側、東京芸術センター広場前の通りに面したところに、千住宿問屋場、貫目改所跡碑とその説明板が立っています。
旅人は問屋場で人足、馬を手配していました。馬で運べる荷物の重量は決まっていて、荷物の重量によって運賃が決められていました。貫目改所は荷物の重量を量り、運賃を決める場所でした。
本町商店街を歩きます。人通りは結構あります。