今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光街道(4)栗橋から間々田 その1

 

2014年1月2日

 

栗橋宿

 

 正月2日目、今年の街道歩きを始めます。宇都宮線栗橋駅に9:30に到着しました。天気は晴れで、やはり今朝も寒いです。マフラーに手袋と完全防備で臨みます。8:45に歩き始めます。

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 駅から左手へ歩くとすぐのところに、静御前の墓があります。説明板によると、平泉に向かっていた静は義経の死を知り、都へ戻る途中、文治5年(1189年)、この地で亡くなったと言われています。街では毎年、静御前祭を行い、静や義経に扮した若者達が豪華な行列で練り歩くそうです。

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 町の中を歩くと電柱に、昭和22年(1947年)のカスリーン台風利根川が決壊した際に浸水した深さを青いテープで表示しています。このあたりは、2.1mの浸水があったことを示しています。そういえば、昨年、中山道の荒川土手を歩いた際に、決壊の碑がありましたが、利根川でも少し上流で決壊したそうです。

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 およそ10分で、本日のスタート地点である栗橋駅入口交差点に到着します。ここを左折して日光街道に入ります。

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 栗橋宿では所々旧家を見ることができます。橋原屋の建屋は江戸末期のもので、明治時代には燃料を商っていました。

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 栗橋駅入口交差点を左折して数分で家並が途切れます。右手が本陣、左手には脇本陣があったそうです。

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 右側の緑の網で囲われている角を右折して土手へ向かいます。網の内側では、現在、本陣跡を発掘しています。

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 利根川の土手の袂に、栗橋関所跡の石碑と説明板が立っています。かつては房川(ぼうせん)渡中田関所と呼ばれ、寛永元年(1624年)に日光街道唯一の関所として設置され、箱根や碓氷と並び重要な役割を果たしていました。往時の関所の位置は堤防の向こう側の河原あたりにあったそうです。

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 一旦、街道に戻り、斜め左の道を進むと正面に八坂神社が建っています。八坂神社は素戔嗚尊を祀り、元は元栗橋(現五霞町)にありましたが、慶長年間(1596~1615年)に利根川の洪水のため現在の場所に移りました。狛犬ならぬ狛鯉が鎮座しています。

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 鳥居の前を左折して道なりに進むと関所番士屋敷跡の標柱が立っています。関所の警備に当たる番士が幕府から任命され、関所近くに居を構えていました。

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 街道に戻り、すぐのT字路が八坂神社前交差点ですが、右折すると国道4号と合流して利根川橋へ出ることができます。

 交差点の向こうに堤防へ上がる階段があったので、そこを登ります。

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 堤防に立つと、坂東太郎の広大な姿が見えます。風はとても冷たいです。日光の山々はそこだけ雲がかかって見えません。

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 堤防の上にあるサイクリングロードを南に向かって歩くと、その先には利根川橋があります。彼方には筑波山がくっきり見えます。

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 西の方を見ると堤防下に栗橋の町が広がっています。遥か先には薄っすらと富士山を見ることができました。

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中田宿

 

 街道は利根川橋南詰交差点に着きます。一旦、歩道に出てから左折して橋を渡ります。国道4号は交差点正面から直角に曲がって利根川橋に入るルートになっています。

 かなり長い橋です。橋の中央で埼玉県から茨城県に入ります。

 川を越えた河川敷あたりが、かつての中田宿でした。

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 およそ10分かけて利根川橋を渡り切ったところにある交差点を左折して、堤防下に向けて下ります。

 その先で道なりに右へカーブします。カーブする左手、ガードレールに、房川渡と中田関所跡の説明板が立っています。残念ながら、文字が半分消えかかっていて、内容がよく分かりませんでした。

 利根川の栗橋と中田の間の流れを房川と呼び、舟で渡していました。中田の関所は寛永10年(1633年)に対岸の栗橋へ移されました。

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 右にカーブすると、その先は遥か先まで続く直線道路になります。すぐに、利根川堤交差点に着きますが、交差点を渡った左角の鉄塔の下に中田宿の説明板が立っています。

 中田宿は川岸から現在の堤防までの河川敷にあり、本陣や商家、茶屋が530mほど並んでいました。また、中田宿と栗橋宿は合宿で、月の宿場業務を15日ずつに分けて担当していました。

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 交差点から5分ほどで、左手には鶴峯八幡神社があります。源頼朝が治承4年(1180年)に奥羽征討の際、この地に立ち寄り戦勝を祈願したところ、武運が開けました。このため、鶴岡八幡宮より勧請し、鶴峯八幡神社となりました。

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 その隣には、静御前ゆかりの光了寺があります。もとは、栗橋にあった高柳寺が建保年間(1213~1218年)に中田に移り光了寺と名前を変えました。義経の死を知った静御前はこの寺で義経の菩提を弔いました。また、この寺には静御前後白河法皇から授かった蛙蟆龍(あまりょう)の御衣が所蔵されています。

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 利根川堤交差点から直線道路を延々と20分歩くと、道は左にカーブして宇都宮線と交差します。その先も直線道路が続きます。

 また、踏切の手前、右へ入る道は大山道と呼ばれ、関所を避けた道でした。

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 踏切を渡ると、このあたりは茶屋新田と呼ばれ、かつては街道の両脇に、中田松原と呼ばれる松並木が続いていました。太平洋戦争中に伐採されてしまいましたが、現在は若い松並木が続いています。

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 茶屋新田バス停付近には立場茶屋がありました。徳川秀忠が日光社参の際に、仮設の茶屋を設けたことから立場が立つようになったと言われています。

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日光街道(4)栗橋から間々田 その2へ続きます。