2014年3月8日
笹原
8時過ぎに自治医大駅に到着しました。2月は2週連続で週末に大雪に見舞われ、さらにその後も天候が不順だったので、1か月以上間が空いてしまいました。今日の天気は晴れで、気温はおそらく前回同様0℃くらいでしょう。3月ということもあり、陽射しは幾分強くなったように感じられますが、風は冷たく、まだまだ寒いです。そして、花粉が飛び始めている気がします。今日もシェルジャケットにマフラーを巻いて街道歩きに臨みます。
8:10に歩き始めます。駅前の道を進み、突き当りの国道4号を右折して、すぐの日産自動車が角にある道を左に入って本日のスタート地点へ向かいます。
国道から入ってすぐの十字路が本日のスタート地点です。ここを右折して、国道と並行に走る旧道を歩き始めます。
十字路を右折してから振り返ると、市庁舎工事現場の向こうに、前回、敷地内を通行させてもらって旧道に入ったパチンコ屋が見えます。
その先は車の通りも少ない畑の中の道を歩きます。畑の日陰には霜柱が見えます。子どもの頃はよく踏んづけていましたが、今はもちろんそんなことはしません。
スタート地点から歩き始めて約20分で、日光街道は行き止まりとなり薮の中に埋まってしまっています。迂回のためここを右折して国道を通ります。
すぐに国道へ出るので左折します。
国道を歩き始めて5分、右手に旭自動車があるところに左へ入る路地があります。ここを入ると、先ほど、藪の中に消えた旧道の延長線上に下石橋の一里塚跡があると言われています。
とりあえず、左折してみると昔の宅地の跡があります。一里塚がどこにあるのか分からなかったため、このあたりの風景を一枚、写真に収めてみました。日本橋から数えて23里目の一里塚です。
国道に戻って、再び、北に向かって歩き始めるとすぐに、下石橋交差点に差し掛かります。
さらに、下石橋交差点からおよそ10分で、国道352号と立体交差する下石橋北交差点に着きます。このあたりで並走してきた旧道と合流し、これからは国道4号上が日光街道となるようです。
石橋宿
さらに、12分ほど歩くと本町交差点を通過します。すぐの左手には愛宕神社の鳥居が立っていて、奥まで参道が続いています。このあたりが石橋宿の江戸側の入口でした。
石橋宿の中心地に入ります。愛宕神社から数分のところ、右手、伊沢写真館のあるところに脇本陣がありました。
その先右手の伊澤茶舗のあるところが本陣跡です。
本陣跡の先、石橋交差点を右に曲がると正面が石橋駅になります。
旧石橋町は、ドイツのシュタイン(=石)ブリュッケン(=橋)村と姉妹都市の関係を結んでいました。シュタインブリュッケン村の属するヘッセン州はグリム兄弟の出身地であることから、グリム童話をモチーフに街作りのテーマとして掲げています。そのため、石橋駅舎や街灯、マンホールの蓋などがグリム童話にちなんだものになっています。ちなみに、石橋町は合併して下野市に、シュタインブリュッケン村はディーツヘルツタール市となりましたが、新たに両市で姉妹都市を提携しているそうです。
その街灯です。
石橋交差点のすぐ先、右手に開雲寺があります。将軍家の日光社参時に休憩所として使われていました。徳川家の葵の紋を見ることができます。
石橋交差点から20分ほど歩くと下古山交差点に着きます。かつてはこの付近に下古山の一里塚があったそうですが、場所は特定されていません。日本橋から数えて24里目の一里塚です。
その先で上三川町に入ります。
下古山交差点から10分ほど歩くと右手に鞘堂が建っています。天授6年(1380年)に小山・宇都宮の合戦で戦死した兵の鞘を集めて埋め、この地に地蔵を安置しました。
その先で、再び下野市に入り、さらに北関東自動車道の高架の下をくぐります。
高架の手前に結城道追分があります。右手パチンコ屋の駐車場の角から右へ入る道は日光東街道、結城道と呼ばれ、結城を通り水戸街道の柏付近へ通じています。
北関東自動車道の下をくぐって10分弱で、宇都宮市に入ります。国道4号を延々と歩いて宇都宮市まで来ましたが、この先も国道歩きが続きそうです。
雀宮宿
宇都宮市に入ってから30分ほど歩くと安塚街道入口交差点に着きます。ここにはかつて雀宮宿の江戸側の木戸がありました。
安塚街道入口交差点から5分ほどで雀宮宿の中心地に着きます。