今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

甲州街道(5)高尾から藤野 その2

 

2020年11月14日

 

小仏の一里塚

 

 駐車場の車止めの先で道は二股に分かれます。甲州街道小仏峠方面は左の道へ入ります。右手の道は景信山への登山道となっています。

 また、この辺りに小仏の一里塚があったと言われていますが、場所は特定されていません。日本橋から数えて14里目の一里塚です。

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 針葉樹の林の中、比較的広い小石混じりの土道を上って行きますが、やがてつづら折りの急登の道に変わります。結構息が切れます。

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 ひとしきり急坂を上ると、木々の間が明るくなり、少し、遠くを見通せる場所もあります。

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 山道に入っておよそ20分で休憩スペースのある広場に出ます。尾根の背に位置し、右手が景信山への道、左手が小仏峠への道の分岐点となります。

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 分岐から左手に少し歩いたところで小仏峠に出ます。標高は548mですが、周りを木々に覆われていて、あまり眺めの良い場所ではありません。

 この場所は武蔵国相模国の境界にあり、街道の要所にありました。このため、北条氏が滅亡するまでこの地に関所が置かれていましたが、後に先ほど通過した駒木野に移されました。

 峠の広場には「明治天皇小佛峠御小休所址及び御野点所址」の石碑が立っています。

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 高尾山に向かうハイカーと別れ、甲州街道は右奥の道を下ります。下り口には甲州道中の標識が立っているので迷いません。

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 さらに、これから先の案内図も立っています。相模国に入ります。

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 小仏峠から一気に下って行きます。道は掘切のようにV字に削られていて、中くらいの石が散乱しているところもあり、下るのに苦労します。高尾側の上りより急な坂道のように感じます。

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 小仏峠から下ること30分強で、右手に舗装道路が見えてきます。小仏峠に向けた上りに比べ、ほとんど人とすれ違うことはありませんでした。

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 やがて舗装道路に出るので、左折します。相模湖駅まで3.7kmの標識が立っています。

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 すぐの、合流点はUターンして右手方向に入ります。

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 街道の西側の視界が開けて、中央高速と小仏トンネルを抜けた中央本線の線路を見ることができます。

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 中央自動車道の下をくぐります。

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 その先でT字路に突き当り、左折します。右へ進むと鉱泉の美女谷温泉がありましたが今は営業していないようです。美女谷は歌舞伎や浄瑠璃で有名な美女、照手姫の出身地と言われています。照手姫といえば、中山道赤坂宿でも伝説が残されていました。

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 再び、中央自動車道の高架の下をくぐります。右手には「甲州道中 板橋」と記された標柱が立っています。

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 標柱から振り返ってみました。

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 やがて中央本線の線路脇を下るようになります。単線に見えますが、もう一本の上り線はトンネルの中に入っています。

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 その先で、線路の下をくぐります。くぐる手前に、「小原宿一里塚下」と記された標柱が立っていたようですが、確認できませんでした。

 旧道はこの手前から中央自動車道の下あたりを通り、小原の本陣跡脇に出る道でした。

 小原の一里塚がここの近くにあったようです。日本橋から数えて15里目の一里塚です。

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 しばらく山あいの道を進みます。

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 線路の下をくぐって5分ほどで国道20号に突き当たります。すぐ脇には底沢バス停があります。西浅川交差点で分かれた国道はここ底沢で再び合流します。交差点を右折します。

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 国道20号脇の歩道を歩きます。やがて民家が多くなってきます。

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 右手には歴史資料館である小原の里があります。トイレもあり休憩もできます。

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小原宿

 

 小原の郷の先には清水家本陣跡があります。街道脇には高札場が復元されています。

 ここに小原宿の入口がありました。宿場の入口に本陣があるのは珍しいそうです。

 小原宿は片継ぎの宿場で、小仏宿から来た人や荷物は、小原宿で継ぎ立てた後、隣の与瀬宿を通り越して吉野宿まで継ぎ立て、反対の江戸方向では、与瀬宿で継ぎ立てた後、小原宿を通り越して小仏宿へ継ぎ立てていました。つまり、小原宿では、江戸から甲府へ向かう旅人のみが宿泊できたことになります。

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 本陣門から入ります。

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 神奈川県下で東海道も併せて26軒あった本陣の中で、小原宿本陣の建屋は唯一現存しているものです。神奈川県の重要文化財に指定されています。

 往時は、高島藩、高遠藩、飯田藩の大名と甲府勤番の役人が利用していました。

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 内部は無料で見学することができます。西側に上段の間、中の間、控えの間があり、外には築山のある庭園が整備されています。また、2階3階には養蚕室があり、この地方にある大型養蚕家屋の構造を残しています。この建屋は江戸末期の建築と推定されています。

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 本陣跡の先、国道の向かいには旧旅籠の小松屋があります。富士講、身延講の定宿として使われました。

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 小松屋の向かいは伊勢屋です。時代によっては脇本陣や問屋を務めたと言われています。

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