2014年4月19日
徳次郎宿
下徳次郎宿に入ります。家々は大谷石の塀で囲まれています。
徳次郎宿は江戸側から下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎宿の3宿からなり、月の1/3ずつ宿役を受け持っていました。
地名の由来は、奈良時代に日光の久次郎(くじら)氏が、この地の智賀都(ちかつ)神社に日光二荒山神社から御神体を勧請した際、この辺りを外久次郎と呼ぶようになったのが始まりと言われています。所説あります。
東北自動車道をくぐって、25分で徳次郎交差点に着きます。この辺りには中徳次郎宿の本陣や問屋がありました。
徳次郎交差点のすぐ手前に左からの道と交差するT字路がありますが、その角左手に田中道道標が立っています。半分崩れた小さな道標です。街道の西側にある神明神社の入口を示しています。
この交差点の角にバーミヤンがあったので、ランチタイムとして30分ほど休憩しました。
徳次郎交差点から、10分ほどで右手に智賀都(ちかつ)神社があります。鳥居の先に、大ケヤキが二本立っています。高さ40m、樹齢700年と言われ、栃木県の天然記念物に指定されています。西側の株は天に向かい、東側の株は天を受けるように枝を広げています。
智賀都神社の脇を過ぎると、その先の国道には中央分離帯が設けられていて、杉の若木が植えられています。六本杉と呼ばれています。かつては杉並木があったのでしょうか?
街道脇の菜の花が満開です。
上徳次郎宿の町並みも過ぎ、智賀都神社から10分ほどで、一里塚バス停に着きます。その先のT字路は舟生(ふにゅう)街道入口交差点で、舟生街道との分岐点です。
T字路を渡った角に、石那田の一里塚跡があります。説明板もありますが字が消えていて判読不明でした。六本木の一里塚とも言います。左側(南側)の塚跡もあったようですが、見逃してしまいました。日本橋から数えて30里目の一里塚です。
石那田の一里塚から5分ほどで、右手のパスタ屋の駐車場の角に、「二宮尊徳先生遺跡 石那田堰 100m」と書かれた標柱が立っています。ちょっと寄り道をしようと思い、ここを右折します。
途中、リンゴの花だと思いますが白い花が満開でした。
国道から右に入り、道を下っていくと、田川に架かる橋が見えてきます。橋の手前を右折すると石那田堰にちなんだ広場があります。お馴染みの二宮尊徳(金次郎)少年の像も立っています。
二宮尊徳は田川の流れるこの地に堰を設け、徳次郎宿周辺に六郷用水を引きました。現在は河川の改修でその跡もなくなっているようです。
再び、街道に戻り歩き始めます。ここからは、桜並木の外側にある左手の側道を歩きます。左手の先には日光宇都宮道路が並行して走っています。ここでも街道脇のリンゴの花は満開です。
歩き始めてすぐの右手に、第五接合井の建物が見えます。こちらは、第六に似せた形にはなっていますが、新しい建物のようです。
猪倉街道入口交差点の手前で並木の側道が終わります。猪倉街道は猪倉を経由して日光西街道(壬生通り)の文挟宿に繋がっています。
田川に架かる大橋を渡ります。このあたりの田んぼも水が引かれています。
田川を越えるとその先左手に、石那田八坂神社が見えます。天王祭と呼ばれるお祭とそれに出される屋台の説明板があります。神社といえば鬱蒼とした林の中にあるイメージですが、ここは広場に社が立っているだけです。
後で調べると、石那田八坂神社の天王祭は夏の疫病退散を祈願して7月末に行われる祭りで、少し離れた本殿(ここにあるのは御仮屋)から御神体にここ御仮屋へ遷っていただき、1週間の間お祀りをします。神様が本殿にお帰りになる際、このあたりの7つの集落にある6台の彫刻屋台が練り回されます。これら屋台の彫刻は大変素晴らしく、日光の寺社の彫刻に引けを取らないと言われています。一度、見てみたいものです。
石那田八坂神社の先から、再び側道歩きが始まります。田園風景を見ながら、桜の花びらがひらひらと舞う中、杉並木の脇を歩きます。
およそ30分、街道が左へ大きくカーブした先で、右手奥に新渡神社が見えてきます。手前で一旦杉並木が途切れてしまいましたが、また、このあたりから並木の側道を歩けるようになります。
この付近に上小池の一里塚跡があるということですが、説明板も何もありません。新渡神社の道を隔てた反対側、側道の左手の民家の前にあるそうです。とりあえず、それらしきところの写真を撮ってみました。日本橋から数えて31里目の一里塚です。
すぐに日光市に入ります。とうとう日光街道歩きも残り少なくなりました。
遠くに日光の山々が見えてきます。空が曇ってきましたが、おそらく雨には降られないでしょう。
日光市に入って20分弱、山口の交差点の先で道は二手に分かれます。左の道が、国道119号、右の道が杉並木道で保存地域です。右の道に入ります。
杉並木を歩いてすぐの左手に、並木寄進碑が立っています。説明板によると、松平正綱が杉並木を植栽し、東照宮に寄進したことが記された石碑です。並木の起点になる神橋畔と各街道が切れる日光街道の山口(ここ)、例幣使街道の小倉、会津西街道の大桑の4ヶ所に立っています。この碑は日光神領の境界に立っているため、境石とも呼ばれています。いよいよ江戸時代から続く杉並木が始まります。
並木道の外に側道もありますが、ほとんど車が通らないので車道を歩きます。さすが、杉の巨木が並んでいます。ここは特別保護地域となっています。
並木寄進碑から8分ほどで、残念ながら杉並木は終わりになります。
その先に見えるのは本日のゴールである大沢交差点です。
大沢宿
そして、本日のゴールである大沢交差点に到着しました。
この後、近くの下大沢バス停から宇都宮駅までバスに乗って帰る予定ですが、30分もバスが来ないので、少し先を歩いてみました。
その先を歩くと、再び杉並木が現れます。国道119号は杉並木を避けて新しくバイパスが出来ています。大変良いことです。
しばらく杉並木の中を車道が通っていますが、車止めが現れ、車は並木の外へ反れることになります。
そこからは車の通れない並木道となります。大変気持ちの良い街道歩きです。
そろそろ、バス停に戻る時間なので、旧道の大室入口交差点あたりを右に曲がりバイパスに出てみます。
すぐ近くに御殿工場入口のバス停があったので、ここから、バスに乗ることにしました。そういえば、この近くに大沢御殿があったはずです。
時刻は14:20です。5時間35分の行程でした。
バスは10分近く遅れてやって来ました。ここから宇都宮駅まで約1時間、今日歩いてきた道をほぼ逆に走ります。結構、歩いたものです。昼食をがっつり食べたので、今日は餃子を食べずに、そのまま宇都宮線に乗って帰路に付きました。