甲州街道(6)藤野から鳥沢 その1
2020年11月28日
藤野
7:50に藤野駅に到着しました。天気は晴れで、気温も前回ほどではありませんが、この時期としては暖かい陽気になるようです。少々、風がありますが、でも心地よい風です。駅前のバスに乗り換えたハイカーの数はさほど多くはありません。
8:00に本日のスタート地点である藤野駅前交差点に向けて歩き始めます。


その先の左へ下る階段を降ります。

すぐに国道下の遊歩道に出るので右折します。旧道をトレースします。

左手に、相模川の造る深い渓谷を眺めながら下っていくと住宅街に出ます。国道と並行する道を歩きます。朝の静かな住宅街です。

10分ほどで住宅街を抜けると、段丘崖沿いに形成された道に入ります。入口には「イノシシ いるぞ~」の表示が。

林の中の気持ちの良い草道を進みます。落ち葉が敷き詰められています。

その先で坂道を上ると中央本線の脇に出ます。正面に見える跨線橋を渡ります。

跨線橋の上に立つと、河岸段丘が何段にも重なっているのがよく分かります。左手前方には、雲に覆われていますが、富士山が見えるのではないでしょうか。

跨線橋でコの字に折り返し、その先を道なりに左折すると国道20号に出ます。

関野宿
国道を左折すると関野宿が始まります。

すぐの右手は本陣跡です。江戸方面から歩いていくと、道路脇に説明板が背を向けて立っています。
関野宿は諏訪番所を通り甲斐国へ入る手前の最後の宿場町であったため、重要視されていました。しかしながら、明治21年(1888年)の大火をはじめ、その後の2度の大火で昔の町並みは失われてしまいました。

右手の増珠寺の前を通り過ぎ、藤野町小渕の歩道橋をくぐります。

甲州街道は歩道橋の先にある右手の旧道に入ります。分岐には軽トラに乗ったウルトラマンが迎えてくれます。

坂道を上っていきます。

すぐの二股を左へ入り、今度は国道に向けて坂道を下ります。

坂の途中には三柱神社の鳥居に続く階段があります。創建年代は不明ですが、秦氏の氏神が祀られています。江戸末期の地元力士、追手風喜太郎が社殿を再建したと言われています。また、喜太郎は四神の彫刻を寄進し、祭礼の際に献納されていましたが、現在は市立博物館に保存されています。相模原市の登録文化財に指定されています。
その先で、再び国道と合流します。

右折して国道に入り、さらに、下って行きます。

国道を歩いて5分強で名倉入口交差点に着きます。甲州街道は左の道に入ります。

交差点から急な坂道を左へ大きく弧を描きながら下っていくと、境川に架かる境沢橋に出ます。ここはかつて相模国と甲斐国の国境であり、現在の神奈川県と山梨県の県境でもあります。橋を渡って甲斐国に入ります。

境川の下流方面です。水量は多くはありません。この先すぐのところで相模川に注いています。

その先に見えるのは相模川に架かる境川橋で、ここを渡ってしまうと、神奈川県に戻ってしまいます。

ヘアピンカーブを3回折り返して河岸段丘の上まで上がります。乙女坂と呼ばれています。

坂道の途中で東側の相模川を望むことができます。結構、息が切れますが高いところまで上ってきました。

坂道を上り切ったところに諏訪番所跡があります。諏訪番所は境川番所、境川口留番所とも呼ばれていました。番所では通行人や街道を輸送される物品を取り締まっていました。男子は上り下りとも手形不要であるのに対し、女子は江戸方面へ向かう時に手形が必要でした。出女ではなく入り女です。関所は、古くはこの先の諏訪神社あたりにあり、甲斐国24関の一つでした。

その先は住宅街の中、緩やかな上り道に変わります。河岸段丘の上に出ました。

諏訪番所跡から歩くこと15分弱で、右手には旧甲州街道と刻まれた石碑が立っています。

すぐのところで、中央自動車道の上を越えます。諏訪橋です。

高速道路を越えると右手には疱瘡神社があります。疫病から守る疱瘡神を祀っています。かつて疱瘡は人々を苦しめていたため、疱瘡神への崇敬は厚く、例祭には参詣者で賑わいましたが、疱瘡が種痘により絶滅してからは、それも絶えてしまいました。現在は地域の人が大切に守っています。

神社の本殿の脇を進むと、その先に、一里塚が残っています。塚場の一里塚です。この塚は古墳時代に造られた塚場古墳群の一部を利用したものとも言われています。日本橋から数えて17里目の一里塚です。
