今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光街道(8)大沢から神橋 その2

 

2014年4月26日

 

森友

 

 森友地区を歩き、その先で森友交差点に出ます。左手の道は国道121号で、現代の道として日光西街道壬生通り)の板橋宿へ繋がっています。

 交差点の先で、国道119号の右側に並行して走る杉並木の入口が見えてくるので、再び、杉並木を歩きます。

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 この杉並木道は今市方面からの一方通行になっていますが、たまに車がすれ違う程度なので、ほぼ安全に気楽に歩けます。

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 杉並木の入口から12分ほど、隣の国道のトヨタカローラがあるあたりで、桜杉が立っています。幹から桜の枝が生えている珍しい杉です。写真の左に延びている太い枝が桜です。

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 桜杉から5分で七本桜の一里塚跡があります。右側の北塚には説明板が立っています。塚の上の杉の木の根元に大きな空洞が出来ていて、大人が四人は入れることから並木ホテルと呼ばれています。日本橋から数えて33里目の一里塚です。

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 左側の南塚はよく分からなかったので、それらしいところの写真に撮りました。

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 その先、すぐの右手に第一接合井があります。第六接合井以外の上屋構造物は今市地方の地震で崩壊し、新しく造られたものです。

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 接合井から7分で、東武線の高架をくぐります。

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 小倉歩道橋交差点を過ぎ、数分で杉並木が途切れ、国道119号と合流します。その先が日光西街道壬生通り、もしくは、例幣使街道)との追分になります。下の写真は追分から振り返ったところで、右の道が日光西街道、左の道が日光街道(国道119号)、写真では切れてしまっていますが、国道の左側に今歩いてきた杉並木の旧道があります。追分の角に、追分地蔵尊が祀られています。

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今市宿

 

 追分を過ぎると小倉町交差点となり、その先が今市宿の中心部となります。

 小倉交差点を左へ進むとJR今市駅へ、右へ進むと東武線の下今市駅へ通じています。

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 小倉町交差点から3分ほど歩いた、右手の路地の奥に二宮尊徳を祀った報徳二宮神社の鳥居が見えます。二宮尊徳(金次郎)は幕府の命を受けて、この地の農地復興に尽力してきましたが、安政3年(1856年)に今市報徳役場で亡くなりました。境内には墓所もあります。現在は学問の神様や商売繫盛の神様として親しまれています。

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 その先左手には、造り酒屋の渡邊佐平商店があります。このあたり一帯には高橋本陣がありました。

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 渡邊佐平商店の隣、ショッピングプラザかましんの入口の脇に今市の水が湧いています。

 斜向かいに如来寺の入口があります。突き当りには立派な山門が建っています。如来寺には徳川家光が御殿を建てて宿泊所としました。

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 その先の右手、二つ目の通り(石岡時計店の先)の角に、旧会津西街道相之道の木標が立っています。会津西街道との追分になっていて、相の道と呼ばれていました。

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 春日町交差点の先、右手には今市宿市縁ひろばがあります。かつての脇本陣があったところです。傍らには明治天皇御小休之蹟の碑が立っています。現在は観光案内所や蕎麦屋、駐車場などがあります。

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 市縁ひろばから3分ほどで瀧尾神社角の交差点に着きます。この辺りに、今市宿の日光側の木戸がありました。道路標識には、日光の社寺まで7kmと記されています。

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 交差点の先で、再び、国道119号の右手から杉並木が始まります。ここの杉並木は、車は通ることができるようですが、路面は土となっています。このあたりは杉並木公園として整備されています。

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 やがて、杉並木が途切れます。その手前には瀬川の一里塚がありましたが、それを示すものはありませんでした。日本橋から数えて34里目の一里塚です。

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 並木が途切れたところを右に入ると、杉並木公園内の古民家を移築したエリアがあります。一番、目を引くのは、天保元年(1830年)築の名主江連家住宅です。屋根は防火のために、平成23年(2011年)に、茅葺から銅板葺きに葺き替えたそうです。

 隣の報徳庵で昼食に蕎麦を食べました。

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 再び、街道歩きに戻ります。先ほどの杉並木が途切れた所から道は、比較的新しい現代の石畳風の道に変わります。しばらく、民家が続きますが、その先で杉並木に入ります。

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 杉並木に入ってしばらくすると、車止めが置かれ、その先からは車が進入できない土の道に変わります。

 報徳庵から歩き始めて10分で、街道の右側に砲弾打込杉の説明板が立っています。この付近は、戊辰の役で官軍が日光に拠る幕府軍を攻めた際に、前哨戦があったところです。杉の木の凹んでいるところが砲弾の当たった痕だそうです。

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 民家が見られるようになったところから、再び、現代の石畳が続きます。

 砲弾打込杉から20分強で、国道119号に合流します。

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 ここからは、国道を歩きます。

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 やがて杉並木に入ります。ここの並木には側道がありません。おまけに交通量の多い国道119号なので、歩くにはとても危険です。

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 生岡神社前バス停の先、杉並木の右手に、並木太郎が立っています。説明板によると、幹回り5.35m、高さ38mで、杉並木の中で一番大きく端正な姿をしているそうです。そう言われてみれば、立派な杉かもしれません。

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日光街道(8)大沢から神橋 その3へ続きます。

 

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