今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

今へ続く日光街道を歩くと

 

今へ続く日光街道

 

 日光街道を辿る旅の多くは国道歩きでした。明治以降、日光街道国道4号や119号に置き換わり、街道筋は国道とともに発展していきました。近年の都市化の波に、かつての宿場の町並みが国道を中心に大きくなっていった町、国道とともにゆっくりと歩んできた町、国道が迂回してしまった町など、宿場町の変遷の事情はそれぞれです。

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 そのような状況の中、越谷宿、杉戸宿、古河宿などは、意外と古いお宅が多く残っていました。 

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 また、日光街道は将軍家の日光社参の道でもありました。将軍家の日光東照宮への参拝は2代秀忠、3代家光、4代家綱の時代が多く、その後は経費節約のためあまり行われなくなってしまいました。それから数十年経って、8代吉宗が享保の改革の最中、大規模な社参を行ったことは有名です。

 将軍家の日光社参の行程は、中山道の本郷追分から日光御成街道に入り、岩槻城で1泊して、翌日、幸手宿手前の追分で日光街道に入り、古河城、宇都宮城に宿泊して4日で日光に到着しました。将軍様の行列とはいえ、結構早かったんですね。

 日光街道を歩くと、各地で将軍が休憩した寺社を見ることが出来ます。この道が御成道であったことがよく分かります。

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 そして、今へ続く道筋である日光杉並木。淡々と杉の巨木が並ぶ様は圧巻でした。江戸の昔が蘇るようです。だいぶ杉並木の中を車が通らないようになっているようですが、いつまでもこの光景を残してもらいたいものです。

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歩いた行程

 

日付   行程
2013-12-  7 日本橋⇒草加
2013-12-21 草加⇒北春日部
2013-12-29 北春日部⇒栗橋
2014- 1- 2 栗橋⇒間々田
2014- 2- 1 間々田⇒自治医大
2014- 3- 8 自治医大⇒宇都宮
2014- 4-19 宇都宮⇒大沢
2014- 4-26 大沢⇒神橋

 

 

日光街道五景

 

 後世に植えられたものですが、綾瀬川沿いの松並木は街道の雰囲気を出していました。

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 坂東太郎はとにかく雄大です。昔は堤防がなかったと思いますが、日光の山々(今回は見えませんでしたが)、筑波山、富士山の眺めに旅人は足を止めたことでしょう。

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 日光街道の一里塚はその多くが消失してしまいました。かろうじて、両塚が残っているところもありました。

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 そして、杉並木です。日光街道沿いでは大沢ー日光間16.5kmに植えられました。この間、すべての杉の木が残っていたらすごい迫力だったかもしれません。

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 神橋の朱色の姿は優雅です。錦帯橋(山口)、猿橋(山梨)とともに日本三大奇橋と言われていますが、本当に奇橋なのでしょうか。その他に、愛本橋(富山、今は存在せず)、かずら橋(徳島)、木曽の桟(長野)の名前も出てきます。見る人の主観にもよりますかね。

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日光街道の先の道

 

 日光街道にもいくつかの追分がありました。ぜひ、宇都宮宿から分かれる奥州街道の街道跡を巡ってみたいものです。

 なお、日光御成街道幸手追分)、日光西街道壬生通り、喜沢追分)はすでに完歩しています。後ほど備忘録としてアップします。

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 ・水戸街道千住宿から水戸)

 ・日光東街道(鞘堂から南柏

 ・奥州街道(宇都宮宿から白河宿)

 

 

日光街道 完歩>