今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

日光御成街道(2)東川口から岩槻 その1

 

2014年12月6日

 

東川口

 

 朝、8:00に東川口駅をスタートします。今日は岩槻までのおおよそ10kmを歩く予定です。東川口駅から一気に幸手宿までの27kmを歩こうかと思いましたが、とりあえず分割して歩きます。天気は晴れで、かなり寒いです。

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 前回、下った急坂を上り、本日のスタート地点である交差点を右折して日光御成街道に入ります。

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 交差点から10分ほど歩くと、さいたま市緑区に入ります。ここで右へ下る坂道が見えます。貝殻坂と呼ばれていて、周辺を掘ると貝殻が出てきたことから名前が付けられました。このあたりは大宮台地の縁にあたり、縄文時代の海水面が数メートル高かった時は、坂の下が海だったようです。

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 坂を下らずに直進します。ちょうど霜が降りた空き地の向こうに高台からの眺めが広がります。

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 貝殻坂の分岐点から約5分で、国道463号に突き当たります。大門小学校入口交差点です。ここを左折して国道に入ります。

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大門宿

 

 大門小学校入口交差点を左折してすぐの右手に大門神社の赤い鳥居が立っています。長い参道の先に拝殿があるようですが、寄り道はしませんでした。境内の愛宕神社の拝殿には左甚五郎作と言われる龍の彫刻があるそうです。

 このあたりには、かつて、龍が棲んでいて、その龍が現れると洪水を引き起こし、人々を悩ませていました。この地を訪れていた左甚五郎がその話を聞き、お世話になったお礼に龍の彫刻を彫って神社の拝殿に釘を打って留めたところ、それ以来、龍は現れなくなり、人々の暮らしも平和に戻ったという謂れが残っています。

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 大門宿に入ります。大門宿は元禄10年(1697年)に岩槻藩領から幕府天領に変わった際に設けられたと言われています。

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 大門神社から5分のところ、右手に大門宿本陣跡があります。会田家が務めていました。長屋門の表門が残っています。

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 その先、左手には脇本陣の表門が残っています。先の地震の影響でしょうか補強が入れられています。西本陣などと呼ばれていました。

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 大門上交差点を横断して直進します。国道463号は交差点から左方向へ別れます。

 大門上交差点から250mほど歩くと、東北自動車道とその側道である国道122号に出ます。その手前、右手に大興寺があります。このあたりが大門宿の日光側の入口でした。

 大興寺イチョウの色づきが見事でした。

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 東北自動車道の上を越えて大門北交差点を直進します。

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 ちょうど東北自動車道を渡るところで、右手には埼玉スタジアムを望むことができます。

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 国道122号を横断して道なりに直進すると、道は右に大きくカーブして、しばらく東北自動車道の側道と並行に走ります。その先で鶴巻陸橋西交差点に着きます。大興寺前で、東北自動車道によって途切れた日光御成街道が復活する場所です。鶴巻陸橋西交差点で国道463号バイパスを横断します。

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 街道は緑の多い郊外の道になります。鶴巻陸橋西交差点から7分、浦和大学入口付近に大門の一里塚がありました。しかしながら、それを示すものはありません。日本橋から数えて7里目の一里塚です。

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 屋敷林でしょうか。細長くきれいに刈られています。

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 一里塚跡から延々30分歩くと、浦和東高校入口交差点の先で、天久保坂という下り坂に差し掛かります。

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 坂道を下った先の左手に、さぎ山記念公園の入口があります。

 さぎ山記念公園のある場所は江戸時代から続くさぎの繁殖地でした。この地のさぎは、昭和13年(1938年)に特別天然記念物に指定されていましたが、昭和40年(1965年)頃からその数が減ってきて、昭和47年(1972年)には野営しなくなり、昭和59年(1984年)には特別天然記念物の指定も解除されてしまいました。そして、昭和61年(1986年)に記念公園として整備されました。

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 上野田交差点を過ぎ、その先で膝子地区に入ります。このあたりは、花栽培が盛んなようで、温室を多く見かけます。

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日光御成街道(2)東川口から岩槻 その2へ続きます。

 

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