2014年12月27日
隼人堀川
岡泉交差点の先で隼人堀川を越えます。春日部市内で大落古利根川と合流しています。
ここにも名残の杉の木があります。
隼人堀川から歩くこと20分で、姫宮落川を橋場橋で越えます。この姫宮落川も大落古利根川と合流します。
このあたりでは農業用水路が多く流れています。用水路どうしが立体交差しているところもあるそうです。
姫宮落川です。
その先、東武動物公園入口交差点を過ぎると、下野田一里塚が見えてきます。両塚とも現存し、県指定の史跡となっています。埼玉県内で両塚とも残っているのはここだけだそうです。日本橋から数えて11里目の一里塚です。
西塚です。
そして、東塚です。
上野田の交差点を過ぎると、街道は大きく右へカーブして、宮代町に入ります。
宮代町に入って5分ほどで、左手に西粂原鷲宮神社があります。十二代将軍家慶が日光社参の際、休憩したと言われています。
このあたりは梨の産地です。梨畑が多く見られます。
その先、進行方向の車線が大渋滞を起こしています。備前堀川を国納橋で越え、国納交差点を越えても、まだまだ、渋滞が続きます。鷲宮神社から13分で東武伊勢崎線の踏切を越えます。
その先すぐに、和戸交差点に出ます。渋滞は踏切とこの交差点によるものでした。和戸交差点を直進して3分で和戸橋に着きます。
和戸橋は備前前堀川と大落古利根川との合流点となっています。下の写真は大落古利根川の下流方面を望みます。なんとものどかな風景です。
ここから杉戸宿のある杉戸町に入ります。日光街道も近くなりました。
和戸橋から7分で、マミーマートの先に下高野一里塚があります。右手の東塚のみ現存しています。日本橋から数えて12里目の一里塚で、日光御成街道最後の一里塚です。
ちなみに、日光街道の12里目の一里塚は、この先の追分よりさらに先、幸手宿のはずれにあるので、日光御成街道のほうが若干距離は長いということになりますね。
それにしても、埼玉県内の日光街道とは異なり、御成街道では、膝子、相野原、下野田、下高野とよく残っています。
一里塚の先、昌平高校入口を過ぎて、10分で松並木跡に着きます。左手に松の古木が数本残っています。公園のフェンスに説明板が架かっています。昭和30年(1955年)頃は並木が残っていましたが、道路の拡張工事などで減ってしまったそうです。
松並木跡から5分で幸手市に入ります。日光御成街道のゴールも近くなりました。
その先で工事中の圏央道の下をくぐります。
幸手市に入って5分、次の信号の左手に琵琶溜井(びわためい)があります。万治3年(1660年)に葛西用水が整備された際に設けられたもので、南郷用水路と南側用水路へ分水しています。南側用水路は日光街道杉戸宿を通っています。
そして、日光街道との追分に到着です。右手から直進方向に曲がるのが日光街道です。日光街道を歩いてこの地に立ったのはちょうど1年前です。
右手角には合流の説明板が立っています。かつて、ここは羽生道とも合流していました。
これで日光御成街道は完歩しました。
その先で東武日光線の踏切を渡り、線路際を歩いて幸手駅に向かいました。幸手駅には11:55に到着しました。今日は3時間30分の行程でした。