今へ続く街道を歩くと

気楽に歩きながら街道の雰囲気を楽しんでいます

北国街道(2)田中から坂城 その2

 

2014年11月10日

 

太鼓岩

 

 伊波保神社の先、北国街道が千曲川に接するところで、川の中州に太鼓岩が見えてきます。名前の由来は、水流が当たってドーンと鳴ったとか、岩の両側が川(皮)であったことからとそのように言われています。かつては、漁や観光のために、太鼓岩に吊り橋がかかっていました。

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 その先、車道は右にカーブしますが、旧道は左の土手上の小道に入ります。小道の入口には、北国街道の道標と説明板が立っています。

 千曲川の向こうには長野新幹線のハープ橋が見えてきます。

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 民家と畑の間を進むと、小道は神川に突き当たり、すぐの右手にある神川橋で神川を渡ります。

 神川といえば、第一次上田合戦で真田昌幸が徳川家の大軍を向かえ打った合戦の場でした。しかし、合戦場はもっと上流だったようです。

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 その先の神川小学校前の交差点を渡ると横断歩道の脇に、馬頭観世音が立っています。

 加賀飛脚仲間が旅や馬の安全を祈願して、文政元年(1818年)に建立したもので、ここが北国街道筋を示すものと考えられました。

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 道なり進むとハープ橋も近くなります。

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 馬頭観世音から6分ほどで、街道は右へ入ります。静かな住宅街の中の歩きに変わります。

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 さらに5分で、右手に立派な門構えのお宅があります。旧上田本陣柳沢邸で、上田宿海野町から移築したものです。

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 その先、すぐに、道は長野新幹線の側道と合流します。

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 5分ほど側道を歩くと、左手新幹線を跨いだ道に突き当たり、ここを右折します。

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 すぐに、しなの鉄道の上を跨ぎ、上堀交差点を横断します。直進すると静かな住宅街に入ります。山辺糀店あたりでは白壁の民家が多いような気がします。

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 上堀交差点から7分で国道141号に突き当たります。ここを直進すると、さらに、静かな住宅街が続きます。ところどころ旧家を見ることができます。

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 国道141号を横断して10分でT字路に突き当たります。上田市内の町名表示には踏入と書かれていますが、その上には真田の六文銭も見えます。

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 T字路を右折すると五叉路になっていて、右手は信州大学繊維学部の正門になっています。

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 信州大学の正門を背にして、文具のいちかわとヘアーサロンハシズメの間の道を進みます。

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 道はすぐに突き当り、正面には科野(しなの)大宮社があります。

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上田宿

 

 境内を回り込んで右折すると、鳥居の立つ神社正面に出ます。科野大宮社は信濃国府の総社であったと言われています。パワーを感じるケヤキの大木が立っています。境内には、この他、スギ、ムロ、大イチョウの大木が立ち、上田市の天然記念物に指定されています。

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 科野大宮社から5分ほどで、右手奥に常田毘沙門堂があります。その入口に「佐久間象山先生勉学之地」の碑が立っています。活文禅師がここ毘沙門堂で多聞庵という寺子屋を開いて禅学を教えていましたが、そこに佐久間象山が習いに来ていたそうです。

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 科野大宮社から8分で道は突き当たり、右折します。

 この先の通りは横町と呼ばれています。海野町が発展するにつれて、南に折れたこの街道筋にできた町です。

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 すぐに、横町海野町交差点に差し掛かり、左折します。

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 交差点を左折すると海野町の商店街となり、歩道にはアーケードが架かっています。今も上田の中心的な存在です。海野町は上田城築城の際に、真田氏ゆかりの本海野(海野宿あたり)から商人を移住させてできた町と言われています。

 左手にある洋品店オオムラあたりが柳沢家本陣のあったところです。

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 歩道脇には本陣問屋場跡碑と説明板が立っています。

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 北国街道はすぐ先の中央二丁目交差点を右折します。

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 電線のない通りを北へ向かいます。このあたりは原町と呼ばれ、真田氏の居城のあった原之郷から人々を移住させて町人町を作ったと言われています。右手には池波正太郎真田太平記館があります。

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 池波正太郎真田太平記館の向かい、左手の駐車場奥には成澤家の蔵が並んでいます。成澤家は江戸から昭和にかけて上田紬の問屋万屋萬伍を営んでいました。

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 中央二丁目交差点から7分で中央三丁目交差点に着きます。ここを左折します。

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 すぐの路地を右に入ると柳町になります。その入口の角に小公園があり、柳町の説明板が立っています。柳町の見どころが細かに書かれ、とても親切な説明板です。また、その隣には真田十勇士のひとり、霧隠才蔵のフィギュアが立っています。

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 柳町の街並みです。左手には創業寛文5年(1665年)の岡崎酒造があります。ここでは荷物になるので酒を買いませんでしたが、帰りに上田駅前でちゃんと亀齢を買いました。

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北国街道(2)田中から坂城 その3へ続きます。

 

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